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伊良部秀輝のストレートはなぜ記憶に残るのか? 清原和博との“平成の名勝負”で「158」の豪速球を受けた捕手と牛島和彦の回想

posted2022/05/03 06:02

 
伊良部秀輝のストレートはなぜ記憶に残るのか? 清原和博との“平成の名勝負”で「158」の豪速球を受けた捕手と牛島和彦の回想<Number Web> photograph by Takao Yamada

「平成の名勝負」として今も語り継がれるロッテ・伊良部vs西武・清原の対戦。キャッチャーを務めていた青柳進がその“衝撃”を語った

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鈴木忠平

鈴木忠平Tadahira Suzuki

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Takao Yamada

伊良部秀輝が放つストレートの記憶は、今も色褪せることがない。“平成の名勝負”として語り継がれる西武・清原和博との対決(1993年5月3日)を軸に、不器用さゆえに誤解され続けた男の素顔をチームメイトが明かしていく。Sports Graphic Number1023号(2021年3月18日発売)「チームメイトが明かす秘話 伊良部秀輝『永遠の100マイル』」を全文公開します(肩書などはすべて当時)。全2回の1回目(#2へ)

 マウンドに立った伊良部秀輝は雄弁だった。言葉なしに多くを物語っていた。

《伊良部のやつ、ストレートしか投げたくないって顔をしている》

 捕手の青柳進は、1歳下の彼の表情を見て、その胸の内を読み取った。

 1993年5月3日、ロッテマリーンズは3点を追う8回裏、とにかく速い球を投げることで知られた6年目の伊良部を登板させた。この回、ライオンズの先頭バッターは4番清原和博であった。ゴールデンウィークの西武球場はこの采配に沸いた。ただ誰よりも高揚していたのは、他ならぬ伊良部本人のようだった。

 清原の大きなシルエットが打席に入った。青柳は150kmを超える暴れダマを受け止める心構えをして、ストレートのサインを出した。力と力、決闘の幕が開いた。

 3球目、これでもかという形相で放たれた伊良部の剛球に、清原の高速スイングがわずかに重なった。青柳の目の前で一瞬、火花が爆ぜるような音がして、白球はバックネットに衝突した。マスク越しに焦げた匂いがした。息を呑むスタジアム。

 清原が打席を外して、青柳を見た。

「きょう、速えな……」

 見たことのないものに遭遇したような顔をしていた。

バックスクリーンに表示された見慣れない数字

 青柳は痛快な思いだった。1990年代に入ってもパ・リーグは西武の時代であり、清原はその象徴だった。だが、いつも弱者の目線で見上げなければならない常勝軍団の主砲に対し、この日ばかりは対等に構えられるような気がした。それほど伊良部のストレートは速かった。

「確かに、速いっすね……」

 青柳は1つ年上の清原にそう応じると、正面バックスクリーンのスピードガン表示を見た。「158」という見慣れない数字がデジタル表示されていた。伊良部が憧れているというメジャーリーグ表記にすれば、100マイルに迫る豪速球だった。それが日本最速記録だということは知らなかったが、自分は今、とてつもない場面に居合わせているのかもしれないという感覚があった。

 だから、球審から新しいボールを受け取ると、なるべく早く伊良部へと返球した。

 投手はボールを持っていないと不安になる生き物だ。とりわけ伊良部にはその傾向が強かった。才能を持て余し気味の右腕は、ボールをリリースした後、そわそわと落ち着きがなくなる。もどかしそうに返球を受け取ると少しの間も待てないというようにサインを促した。捕手の右手指がストレートを示せば納得したように頷き、変化球ならば、たいていは小さく首を横に振った。

【次ページ】 バッテリーの敗北に一点の後悔もなく

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