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ユベントス留学から帰国した中田英寿の“変貌”…岩本輝雄がベルマーレを去った理由と、仙台での復活「ベガルタで引退したかった」 

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飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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photograph byJ.LEAGUE

posted2022/04/08 17:03

ユベントス留学から帰国した中田英寿の“変貌”…岩本輝雄がベルマーレを去った理由と、仙台での復活「ベガルタで引退したかった」<Number Web> photograph by J.LEAGUE

高卒ルーキーながらすぐにチームの中心選手としてプレーした中田英寿。岩本はユベントスへの短期留学が中田を変えたと当時を振り返る

 一方の岩本はというと、95年シーズンはまたしてもケガに苦しめられた。

 忘れもしない95年6月28日のセレッソ大阪戦——。

 その試合まで岩本は絶好調だった。6月17日の名古屋グランパス戦、21日の浦和レッズ戦で2試合連続して直接FKを相手ゴールに叩き込んでいた。

 C大阪戦でもゲーム終盤、格好の位置でベルマーレがFKを獲得する。キッカーはもちろん岩本だ。自慢の左足でボールをとらえた瞬間、「バチン!」という衝撃音が体内を駆け抜けた。

 左膝の靭帯損傷、だった。

「手術せずに治すことにして、夏のキャンプでちょっと試合に出たんだけど、やっぱりダメで。10月に手術して膝を開けたら、半月板を傷めていて。40日後の天皇杯で軽く復帰したんだけど、翌日、また痛みがぶり返して検査。今度は軟骨と靭帯を傷めていて、即手術することになった」

 岩本不在の間、チームも迷走した。

 95年シーズンは14チーム中11位に低迷し、96年シーズンも16チーム中11位に終わった。その間、コーチのニカノールはチームを去り、古前田充から植木繁晴、トニーニョ・モウラから再び植木へと指揮官が代わった。

 さらに、岩本にとってショックだったのが、盟友の名良橋の移籍である。

 97年、より高いレベルのチームで成長して再び日本代表に選出されるべく、前年王者の鹿島アントラーズへ移籍したのだ。

「鹿島にはブラジル代表の右サイドバックのジョルジーニョがいたから、いろいろと学びたかったんだろうね。寂しかったけど、ナラは常勝軍団でポジションを掴んで、活躍したもんね。横浜フリューゲルス戦でカットインから左足でゴールを決めたし、そのあと『サッカーダイジェスト』の表紙も飾って。すげえなって。あれは俺も嬉しかったな」

 そうした活躍が認められて日本代表復帰を果たした名良橋は、97年9月に開幕したフランスW杯アジア最終予選のメンバーに選ばれ、W杯出場権獲得に貢献する。

 ベルマーレから代表に選出された中田も、最終予選を通して名実ともに日本のエースとなっていった。

 岩本にも新天地に移るときが近づいていた。

「俺の居場所はここなのかな? って。ベルマーレも財政的に厳しくなっていたし、中田のチームになっていたし、もう違うかなって」

オフトが率いる京都からオファー

 98年、そんな思いを知ってか知らずか、C大阪と京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)からオファーが届き、岩本は後者を選ぶ。

 96年にJリーグに昇格したものの、2年続けて下位に低迷した京都は、新監督に元日本代表監督のハンス・オフトを招聘する。黒崎久志、森保一、山田隆裕ら元日本代表選手を次々と獲得し、大型補強を敢行したが、そのひとりが岩本だったのだ。

「お金が良かったっていうのもあるけれど、オフトと一緒にやりたかったというのもある。ほら、俺、ドーハの前に声を掛けてもらったのに断ってるから。オフトのサッカーは楽しかったな。俺は3-3-3-1の左ウイングで、とにかく『1対1で勝負しろ』と。『10回勝負して5回取られてもいい。5回クロスを上げて、3アシストしたらお前の勝利だ』って」

 オフトは成績不振を理由にシーズン途中で解任されてしまうが、ヘッドコーチから後任監督に昇格した清水秀彦がチームを立て直し、18チーム中13位でフィニッシュした。

 岩本自身は33試合に出場して8ゴールをマークし、完全復活を印象付けた。

 ところが、岩本は再び移籍を決断する——振り返れば、これが迷走の始まりだった。

「けっこう頑張ったのに、経営が厳しいとかで年俸が下がることになって。それは嫌だなと思ったのと、関東に戻りたくなったんだよね」

【次ページ】 J2川崎での役割は…紅白戦での“仮想ウィル”

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