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「昭和の巌流島」から48年、ストロング小林の国際退団秘話。

posted2022/03/19 07:00

 
「昭和の巌流島」から48年、ストロング小林の国際退団秘話。<Number Web> photograph by AFLO

猪木(左)は'74年の激闘を振り返り「小林選手がこの試合を人生最高の試合と言ってくれ格別な思いがあります」

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門馬忠雄

門馬忠雄Tadao Monma

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AFLO

 梅に菜の花、春めくと決まって頭をかすめるのが1974年3月19日、東京・蔵前国技館で行われた大物日本人選手同士の対決。「昭和の巌流島」と呼ばれたNWF世界ヘビー級王者アントニオ猪木vs.挑戦者ストロング小林の一戦だ。

 '74年2月の出来事は、今思い返しても心に突き刺さる事件である。筆者は東京スポーツ新聞の国際プロレス担当ながら、エース小林の退団をまったく知らなかった。東京・高田馬場の喫茶店で開かれた単独記者会見で、小林は国際の吉原功社長に辞表を提出したことを明かし、フリー宣言して退団の決意を語った。

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