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昭和のパ・リーグファンがケンカ、ダイエー選手バスに生卵投げつけ事件も…大阪で愛された“消えた野球場”「日生球場」、今は何がある?

posted2021/12/31 11:06

 
昭和のパ・リーグファンがケンカ、ダイエー選手バスに生卵投げつけ事件も…大阪で愛された“消えた野球場”「日生球場」、今は何がある?<Number Web> photograph by Sankei Shimbun

1996年5月、日生球場でプロ野球最後の試合となった近鉄対ダイエー戦。翌97年に閉鎖されたが…日生球場、今は何がある?

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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Sankei Shimbun

 2021年のプロ野球は、セ・リーグがヤクルトスワローズ、パ・リーグがオリックス・バファローズの優勝で終わった。両リーグとも前年最下位からのリーグ優勝で、珍しい1年だった。

 さて、今回はオリックス……というかバファローズの歴史をほんの少し振り返ることにする。オリックス・バファローズという球団は、2004年オフにオリックス・ブルーウェーブと近鉄バファローズが合併(事実上オリックスによる吸収)して誕生した。つまり前身球団のひとつが近鉄バファローズ、ということだ。

 近鉄の本拠地球場と言えばどこか。もちろん、あの代打逆転サヨナラ満塁優勝決定ホームラン(01年、北川博敏・近鉄)の舞台になった大阪ドーム(いまは京セラドーム大阪)が記憶に新しい。その前となると、巨人と戦った1989年の日本シリーズで3連勝からの4連敗、その舞台の藤井寺球場だ。

 藤井寺球場はすでに解体されて跡形もなく、以前訪れたが立派な私立学校に生まれ変わっていた。近鉄の本拠地が大阪ドームに移転したのが1997年。それからたったの25年足らずで跡形もないのだから、時の流れは無情である。

 そんな無情を感じさせてくれる“消えた球場”がもうひとつ、大阪にある。近鉄が藤井寺球場とともに本拠地球場のひとつとして使っていた日生球場(日本生命球場)だ。

消えた「日生球場」、今は何がある?

 野球ファンならば日生球場の名前くらいは聞いたことがあるだろう。が、関西のオールドファンでもなければ、現地で観戦経験がある人はめったにいないに違いない。それどころか、日生球場がどこにあったのか、それすらわからないだろう。

 そこで調べてみた。藤井寺球場のように大阪市内から少し外れた郊外にあったんでしょう……。そう思っていたら大間違い。なんと、大阪城のすぐ南、つまりは大阪のど真ん中もど真ん中に日生球場はあったのだ。

 日生球場(の跡地)の最寄り駅は大阪環状線の森ノ宮駅。大阪駅から5つめ、時間にして約12分の場所にある。高架の駅ホームからは大阪城の天守閣が覗き、阪神高速東大阪線が駅のすぐ北側で大阪環状線と交差する。交差したその北西側には大阪城公園の入口が。つまり、大阪に観光でやってきて、だったらまずは太閤殿下のお城でしょうということで大阪城を訪れた人が、ほとんどきまって利用する駅というわけだ。

 そんな駅だから、もちろん駅前は賑やかだ。駅前には線路と並行するように玉造筋という大通りが南北に通り、阪神高速の高架下には中央大通というこれまた大きな道路。どこもひっきりなしにクルマが通り、駅前を歩く人も多い。大阪城公園から大阪環状線を挟んで東側には、大阪環状線の電車たちが眠る車両基地もある。

 大阪、というとキタの梅田やミナミの難波、天王寺、通天閣あたりをイメージする人が多いかもしれないが、森ノ宮駅の周辺も立派な大阪の中心といっていい。

 日生球場は中央大通、つまり阪神高速の高架沿いにあった。駅前から中央大通を歩くこと約5分。日生球場があった場所にたどり着いた。

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