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《現役引退》南ア撃破の“10番”小野晃征が次世代SOに期待する2つのこと「僕が意識していたのは『人を知る』ことです」 

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大友信彦

大友信彦Nobuhiko Otomo

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photograph byNobuhiko Otomo

posted2021/09/28 11:03

《現役引退》南ア撃破の“10番”小野晃征が次世代SOに期待する2つのこと「僕が意識していたのは『人を知る』ことです」<Number Web> photograph by Nobuhiko Otomo

2016年度、サントリーのシーズン全勝に貢献した小野晃征(左)。筑波大に在学したまま日本選手権決勝に出場したパナソニックSO山沢拓也をねぎらった

 07年W杯には20歳で出場。オーストラリアとの初戦で背番号10を着た。

 トイメンの相手SOは翌年からリコー入りする英雄スティーブン・ラーカムで、途中交替で入ってきた新人はそこから51キャップを重ねたのち来日し、パナソニックで2年連続トップリーグMVPを受賞するベリック・バーンズ。SHはジョージ・グレーガン、FLにはジョージ・スミス、CTBにはマット・ギタウと、後にサントリーに加入し、対戦相手あるいはチームメイトとしてともに日本のピッチに立つことになる新旧スーパースターがズラリと並んでいた。

 そんな輝かしいキャリアのスタートを切った小野だったが、その後は順風満帆とはいかなかった。

 翌年以降は日本代表のリストから名前が消えた。JKが背番号10を預けたのは、同じNZ育ちでも小野よりも体のサイズのあるジェームス・アレジやウェブ将武、ブライス・ロビンス、マリー・ウィリアムスといった顔ぶれだった。

エディーが重宝した才能

 運命が変わったのは12年、日本代表HCにエディー・ジョーンズが着任してからだ。エディーは5年ぶりに小野を代表に呼び戻し、背番号10を預けた。小野はエディーの求める戦術を遂行し、試合でも練習でも、アタックでもディフェンスでもハードワークを重ねた。日本代表が史上初めて欧州でのアウェー試合に勝利したルーマニア戦と続くジョージア戦はともにフル出場。ジョージア戦では同点で迎えた後半ロスタイムに劇的なサヨナラDGも決めた。

 練習では本来の通訳を補完する役目も果たしたが、悩みもあった。時に口調が激しくなるエディーの言葉を、英語のまま聞かされるのは「けっこう辛かったです」と苦笑する。「通訳経由で聞いている他の選手がうらやましかった」。

 とはいえ、エディーとは今も連絡を取り合う仲だという。今回も引退を決意した時点で小野はエディーに報告した。返事はすぐに返ってきた。メールにはねぎらいの言葉に続けて、こんな言葉が添えられていた。

『あのときは激しい言葉を使ったけれど、選手としてはどう感じていたかな。2015年を戦うときは、どういうマインドで大会に臨んでいたかな?』

「そこからまた学ぼう、自分もコーチとして進化しようと思っているんですね。エディーらしい(笑)」

 エディーもまた、そんな小野の観察眼を評価していたのだ。15年W杯では、田村優、立川理道と3人のSOが選ばれていたが、最初の南ア戦で10番を着たのは小野であり、結果として、小野が10番を着た3試合に日本は全勝した。

 そんな小野のSO観とは。

【次ページ】 小野が意識した「人を知る」こと

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