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ブティック店長候補から6年でチェルシーの正GKになった、エドゥアール・メンディの謙虚な自己分析「僕は控えGKで状況は明確だ」 

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posted2021/08/15 11:01

ブティック店長候補から6年でチェルシーの正GKになった、エドゥアール・メンディの謙虚な自己分析「僕は控えGKで状況は明確だ」<Number Web> photograph by L’Équipe

CLのグループステージではチェルシーの前に在籍したレンヌと対戦。2−1で勝利を収めた

――最初にプロ契約を結んだのは2016年6月にランスとですが、そこが新たな始まりですか?

「その通りで新たな人生が始まった。クラブに到着すると、彼らは施設を見せてくれた。僕の頭の中では順番が逆で、まず契約にサインしてから見るものとばかり思っていた。僕はサインがしたかったけど、ジャンピエール・カイヨー会長はこう言った。『君は頭がいい。一緒に素晴らしいことを成し遂げよう』と。オフィスに着くとそこには契約書と筆記用具が用意されていた。僕はすべてを手にして、それは到達点ではなくひとつの解放だった」

――5000ユーロの月給は失業手当以上でしたか?

「カイヨーに多すぎると言いたかったぐらいだ(笑)。家族や将来のために貯金ができる額で、サッカー界の実態を垣間見た思いだった。僕もついに辿り着いたと。ただ、今は、より多くを求めているが」

プロ入り後に訪れた進化の兆し

――4年後にはチェルシーでプレーすると、そのとき想像できましたか?

「そんな先のことまで思いつかなかった。育成センターではいろいろ想像したけど、挫折ばかりで気持ちが萎えた。それからは『これから先の数カ月をどうするか? どこに向けて進化したいのか? どうやって到達するか?』だけを考えるようにした。

 ランスではこう言い聞かせた。『僕は控えGKで状況は明確だ。プレーできるとすれば周囲が評価したときだ』と。No.1になったときには、クラブに貢献するプレーをして『他のGKを獲る必要はない』と言わせたかった。チームがリーグアンに昇格(2018~19年)してからは、自分がそのレベルにあること、さらにはフランスのトップでもやっていけることを証明したかった。レンヌに移籍してEL(UEFAヨーロッパリーグ)でもプレーすることができた。そこから国外でプレーできることを証明して移籍することが目標となった。ときおり自分が何をしてきたかを自問し、これからどうすべきかを考えることが必要だ」

――自身の辿った道のりをあなたは客観視できています。ではゴールを喫するとどんな気持ちになりますか?

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