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<ギネス記録>11カ国31クラブを渡り歩いた元ウルグアイ代表セバスチャン・アブレウ44歳が引退直前に語っていたこととは 

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posted2021/08/05 17:00

<ギネス記録>11カ国31クラブを渡り歩いた元ウルグアイ代表セバスチャン・アブレウ44歳が引退直前に語っていたこととは<Number Web> photograph by AFLO

ギネス記録となる31クラブ目のスド・アメリカを最後のチームとしたアブレウ。44歳での引退だった

 国境をまたいでこれだけ多くのクラブでプレーができたのは、旺盛な好奇心と適応能力の高さで、どこに行っても文化的な壁を乗り越えて馴染むことができたからだった。

「どんな状況であろうと僕は順応できる」とアブレウはいう。

「言葉も問題ない。外向的な性格だから、たとえば英語は小学生程度しか話せなくとも間違いを恥とは思わない。躊躇なくその社会に入っていける」

 その豊富なキャリアにおいて、彼は他のどの選手よりも多くのダービーを戦ってきた。なかでも熱かったのはサンロレンソ対ウラカンやリーベル・プレート対ボカ・ジュニオルス、ロサリオ・セントラル対ニューウェルズ・オールドボーイズ(いずれもアルゼンチン)であり、ナシオナル対ペニャロール(ウルグアイ)やアメリカ対チーバス(メキシコ)であった。

「最も強烈だったのはロサリオのダービーだ」とアブレウは回想する。

「モンテビデオで生まれた僕にとってはナシオナルの試合はもの凄く大事だったけど、ロサリオの雰囲気といったら……、あんなところは世界にふたつとないね。クラシコの2週間前から狂騒が始まり2週間後まで続く。試合に勝とうものなら反響もまた大きく、まるでリーグに優勝したような騒ぎになる。僕はたまたま4連勝できた。そのときの熱狂は信じられないほどだった。ドラッグストアで買い物をしてもレストランに食事に行っても、誰も支払いを求めないんだ!」

確信とともに決めたパネンカ

 ウルグアイでアブレウが伝説になったのは、2010年南アフリカW杯準々決勝のガーナ戦で、PK戦の際にパネンカを決めて母国を40年ぶりのベスト4に導いたからだった。延長後半のアディショナルタイム、ルイス・スアレスがゴールライン上のハンドで退場になった試合で、彼は「まるで魔法の杖に触れられたかのような力を感じていた」のだった(ガーナのFKからのゴール前の混戦で、前に出たGKをカバーしたスアレスは、シュートをライン上で手でブロックして退場に。ガーナにPKが与えられたが、アサモア・ギャンの放ったキックはクロスバーを叩き、試合はPK戦に突入した)。

「オスカル・タバレス(監督)が5人のキッカーを決めたとき、僕は3番目だった。自分からタバレスのもとに行って、5人目にしてくれるように頼んだ。何かができるという確かな予感があった。ペナルティスポットに向かって歩いているときには運命の力を感じた。普通、5番目のキッカーは確実性を目指すけれども、僕にはとてつもないことをやれるという強い確信があった。だから真正面に向けて蹴った。正しい決断だったことは、結果が証明してくれた」

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