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IOCバッハ会長(67歳)とは何者なのか? 「ぼったくり男爵」にただ1人クーデターを仕掛けた男の“悲しい末路” 

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田村崇仁

田村崇仁Takahito Tamura

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posted2021/07/08 11:05

IOCバッハ会長(67歳)とは何者なのか? 「ぼったくり男爵」にただ1人クーデターを仕掛けた男の“悲しい末路”<Number Web> photograph by Getty Images

IOCのトーマス・バッハ会長(67歳)とは何者なのか?

 しかし五輪に対抗し、複数の世界選手権を合同で開く構想や五輪の賞金制度導入など20項目の新改革を打ち出した「ビゼールの乱」はあっさり鎮圧されてしまう。

 その場にいたバッハ会長は眉間にしわを寄せ、一瞬気色ばんだものの「その意見はあなただけのものだ。五輪改革は長期間、対話を重ねて進めている」と反論。そこからの水面下の動きはあっという間で、IOCに忠誠を誓う競技団体のスポーツアコード脱退が相次ぐ事態に発展し、目論見が外れたビゼール氏は辞任に追い込まれた。

「あの一件で誰もが『バッハ帝国』の強靱さを思い知った。IOCを敵に回したら五輪入りを目指す競技団体は特に弱体化するだけだとね」

 世界空手連盟のアントニオ・エスピノス会長(スペイン)は肩をすくめて解説したが、反対勢力を素早い根回しで封じ込んだバッハ会長の人心掌握術はこれを機にさらに加速していく。

“中流家庭”出身のバッハが「五輪貴族」になるまで

「五輪貴族」。近代五輪の創設者クーベルタン男爵がフランスの貴族出身だったことからそう呼ばれるIOC委員の顔触れは王室・王族関係者や政治家、弁護士、元アスリートなど多彩だ。

 ドイツ中部ビュルツブルクで織物店を営む中流家庭で生まれたバッハ氏は「貴族」ではないが、1976年モントリオール五輪のフェンシング男子フルーレ団体金メダリストの肩書を持つ。引退後に英語、フランス語、スペイン語を巧みに操る弁護士としてIOCを実務面で長年支えた経験と、アディダスやドイツ電機大手シーメンスで学んだビジネス感覚、アラブ・ドイツ商工会議所会頭時代に築いた人脈の強みがある。6人が立候補した8年前の会長選は「キングメーカー」と呼ばれたクウェートの王族、シェイク・アハマド委員の支持を得てアジアやアフリカ票を固める周到な戦略で前評判通りの圧勝だった。

 21年3月のIOC総会。対抗馬不在の改選でバッハ氏が賛成93、反対1の圧倒的な信任票を得て「無風」で再選されると、1期目8年の功績をたたえる祝福と称賛の嵐が各国委員から延々と約1時間続いた。苦言や異論は一切出ず、専制国家の君主のような雰囲気に包まれた「バッハ氏1強」の時代。一方でロシアの国ぐるみのドーピング隠蔽問題では弱腰の対応に「制裁が緩すぎた」との批判が根強く、リオデジャネイロ、東京両五輪の招致疑惑など相次ぐスキャンダルがあり、中国政府による人権問題で22年北京冬季五輪のボイコットを呼び掛ける動きも欧米で広がる。現在102人の委員のうち半分以上がバッハ会長就任以降に世代交代した面々で「独裁色」を強める歩みはどこか危うさもはらむ。

「(IOC内に)反対できる人はいない」

 「近代五輪の父」がピエール・ド・クーベルタン男爵なら、プロ化と商業主義の扉を開いた現代五輪の先導役が元IOC会長のファン・アントニオ・サマランチ(スペイン)だった。IOCの錬金術を軌道に乗せ、その威光が絶大だった時代に、20代の若さでIOC選手委員となったバッハ会長はサマランチを「師」と慕う。

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