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「僕は一度死んでいるんです」 こけて、こけてこけて“ラスト1枠”をつかんだ亀山耕平のじぐざぐな体操人生
text by
矢内由美子Yumiko Yanai
photograph byAFLO SPORT
posted2021/07/03 17:00
亀山耕平は七転八起の体操人生を歩んできた。たどりついた東京五輪ではどんな演技を見せるのか
「自分は体操をして良いのだろうか」
「自分は体操をして良いのだろうか」
悩みに悩んだが、次第に「体操で結果を出して喜ばせるしかない」と思うようになった。こつこつと練習を重ねて実力を伸ばし、初めて日本代表になったのは社会人3年目だった13年の世界選手権(ベルギー・アントワープ)。亀山は種目別のあん馬で金メダルを獲得し、ゆかで金メダルを獲った白井健三とともに一躍脚光を浴びた。14年世界選手権(中国・南寧)では団体の銀メダル獲得に貢献した。
だが、15、16年は不調に陥った。16年6月の全日本種目別選手権兼リオ五輪代表選考会のあん馬で2位に終わり、リオ五輪切符を逃した亀山は、涙をこぼしながら引退を表明し、「東京五輪は目指しません」と言った。
「僕は体操人生で一度死んでいるんです」
米田功監督から「カメ、やめてまうんか。もったいないやろ」と引き留められたのは、取材エリアで引退すると言った直後のことだ。
能力を高く評価してくれる監督の言葉に心が動き、
「やるからには、本気で東京五輪を目指そう」
そして、演技構成を一から見直し、気持ちを入れなおした。
すると翌17年、亀山は14年以来3年ぶりの世界選手権(カナダ・モントリオール)代表に返り咲いた。その時の代表選考会で、亀山はしみじみと言った。
「リオ五輪で終わりと決めていたので、つまり僕は体操人生で一度死んでいるんです。そこを米田監督に救ってもらい、つなげてもらいました。今は体操人生の2回目。もう失うものがないし、こういう緊張感も引退したら感じられないこと。体操を続けることのできる環境を与えられたことに感謝しながら突き進んでいきたい」