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<ウイグル問題>北京五輪ボイコット論で思い出す 「41年前モスクワ五輪の悪夢」“不参加”を決めたJOCの悲しい本音 

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近藤正高

近藤正高Masataka Kondo

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posted2021/04/24 11:01

<ウイグル問題>北京五輪ボイコット論で思い出す 「41年前モスクワ五輪の悪夢」“不参加”を決めたJOCの悲しい本音<Number Web> photograph by KYODO

モスクワ五輪、男子1500メートルで優勝したセバスチャン・コー(イギリス)のゴール。サッチャー首相の勧告に反し、イギリスの選手たちはモスクワ五輪に参加した

 モスクワ五輪のケースでは、開催国のソ連が強権をむき出しにする事件が、開催の前年に起きてしまう。1979年12月のソ連軍によるアフガニスタン侵攻だ。これに対し、時の米国大統領カーターは1980年の年明け、ソ連の軍事行動を国際秩序を乱すものとして非難し、モスクワ五輪の不参加を米国オリンピック委員会(USOC)に勧告するとともに、各国にも同調を呼びかけた。米国の世論はボイコット賛成が大勢を占め、USOCも4月には不参加を決定する。

「不参加やむなし」財政を握られたJOC

 米国のボイコットの動きに、西側陣営のイギリスや西ドイツ(当時)、あるいはソ連と敵対していた中国などの政府が早い段階で支持を表明するなか、日本政府も2月1日、日本オリンピック委員会(JOC)に向けて政府見解を発表した。それは次のようなものであった。

《オリンピック大会は、本来スポーツを通じてより良き、より平和な世界の建設に助力し、国際親善を作り出すことを目的としている。したがって、モスクワ・オリンピック大会について、政府はソ連のアフガニスタンへの軍事介入、これに対する厳しい国際世論等に重大な関心を払わざるを得ない。日本オリンピック委員会は、この事態を踏まえ、諸外国の国内オリンピック委員会と緊密な連携をとって適切に対処されたい》

 はっきりと書かれてこそいないが、事実上、政府が現在の国際情勢のもとでの五輪参加は不適当だと考えていることを公式に表明したものであった。間接的な表現になった理由を、当時の大平正芳内閣の官房長官・伊東正義は「JOCの自主性を尊重するため」と説明した。このあとも、政府は建前ではJOCに対し自主性を尊重すると言いながら、五輪派遣補助金の停止をちらつかせるなど、真綿で首を締めるようにボイコットへと誘導していくことになる。

 JOCは本来独立した民間団体のはずだったが、当時は自立した財政を持たず、その実体は日本体育協会(体協、現・日本スポーツ協会)の下部組織にすぎなかった。体協にしても、当時の会長・河野謙三(元参議院議長)の政治的手腕により1980年度予算総額約30億円のうち50%以上の15億8000万円を国庫補助に頼っていた(池井優『オリンピックの政治学』丸善)。こうした体制ゆえ、JOCがモスクワ五輪について自主判断を下そうにも、政府や体協の意向に背くことは難しかった。

「昔はオリンピック期間中、停戦したんだよ」

 JOCが態度決定をぎりぎりまで先延ばしし、静観を続けたのは、政府に対するせめてもの抵抗であったのかもしれない。事実、当時のJOCのトップである委員長の柴田勝治は、年明けにカーターが五輪ボイコットを示唆した時点で、「日本の不参加やむなし」と覚悟を決めながらも、《もむまでもんで、政府のほうの痛みも引き出す、と漏らした》と、このころ柴田に毎日新聞の運動部記者として取材を重ねていた大野晃は証言している(松瀬学『五輪ボイコット 幻のモスクワ、28年目の証言』新潮社)。

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