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名将はなぜ「一度クビになった」のか、“普通の公立校”が大阪桐蔭に勝てたワケ…センバツ甲子園の悲喜こもごも 

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posted2021/03/19 06:00

名将はなぜ「一度クビになった」のか、“普通の公立校”が大阪桐蔭に勝てたワケ…センバツ甲子園の悲喜こもごも<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

センバツ甲子園に高校球児たちの声と球音が戻ってくる

「甲子園での敗戦から教訓を得たからね。今までは繋ぎの野球で、例えば、ワンアウト三塁でも4番にセーフティスクイズやゴロを打つように指示していたけど、長距離を打てるバッターがいるならしっかり育てて打つ野球をしていかないと、甲子園でもうひとつ上のステージにはいけないから」

 たしかに近年、ロングヒットを狙う打者が増えるなど、高校野球の変容を感じさせる試合は多い。2020年の中止を経て開催される“令和初のセンバツ球児”は、どのようなプレーを見せてくれるだろうか。

甲子園を制した名将も「クビ」を経験していた

<名言4>
決勝戦の朝は違うだろう。どんな気持かよく覚えておけよ。
(小倉全由/NumberWeb 2010年4月5日配信)
https://number.bunshun.jp/articles/-/18931

◇解説◇
 アマ球界には全国各地に名将がいる。大激戦区である西東京において、小倉監督はその1人である。日大三高を2001年、2011年と2度の夏の甲子園優勝に導くなど、強豪校に押し上げた存在として知られている。

 また現在オリックスに在籍している山崎福也を、同校のエースだった頃から「ヤマちゃん」と呼ぶなど、選手との距離感が絶妙だった。実際に山崎もこのように評するほどだ。

「父親のような存在。グラウンドでは厳しいのですが、寮では優しくて、親しみやすい。メリハリがある。尊敬できる監督さんです」

 しかし、そんな小倉監督も順風満帆の指導者キャリアというわけではなかった。

「自分は一度、クビになった男ですから」

 小倉監督は日大卒業後、こちらも東京の強豪校である関東一高の監督に就任した。そこでも1987年センバツで準優勝に導いたものの、失職した過去がある。そこには遺恨も悔恨もないそうだが、1つの人生経験として、小倉監督を大きく成長させたものであることは確かだろう。

 2010年のセンバツ決勝を前に、小倉監督は冒頭の言葉に続けて、山崎にこう声をかけたという。

「ヤマちゃんどうだ? 決勝戦に出ることってすごいことだろ。思い切って投げろよ」

酸いも甘いも噛み分けてきたからこその激励である。

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