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「そんなお金があるなら、復興に使って欲しい」…あれから1年半、釜石“復興”スタジアム(48億円)の今は? 

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鼠入昌史

鼠入昌史Masashi Soiri

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posted2021/03/11 17:03

「そんなお金があるなら、復興に使って欲しい」…あれから1年半、釜石“復興”スタジアム(48億円)の今は?<Number Web> photograph by Masashi Soiri

釜石の“復興”スタジアムへ。三陸鉄道に乗って鵜住居駅を目指す

そもそも、釜石の町は津波の被害にあって復興の真っ只中だ。そんな中で、いくら釜石がラグビーの聖地だからといって、おいそれと新しいスタジアムなど作っていいものか。「そんなお金があるならば、もっと違うところに使ってほしい――」地元ではこうした意見もあったという。そうした中で、ラグビーW杯の開催都市に釜石市が立候補。地域に希望を与える存在として、新設スタジアムの建設とW杯の開催が決まったのだ。だから、少しでもコンパクトに、少しでもシンプルに。建設費は約48億円でできあがったのだ(これだけ聞くと多いような気がするが、新国立競技場は1569億円である)。

丸の内から来た「ラグビー神社」

 ちなみに、新日鉄釜石ラグビー部をルーツに持つ釜石シーウェイブスのホームグラウンドは釜石市内の内陸部にある松倉グラウンド。日常的な練習はそちらでやっているが、公式戦は鵜住居復興スタジアムでも行われている。

 と、そんな鵜住居復興スタジアムをぐるりと回って正面へ。すると、正面の入口の反対側に小さな社があった。ラグビー神社というらしい。傍らに説明書きがあったので読んでみると、もともとはラグビーW杯に合わせて東京・丸の内に設けられた神社を、2020年の10月に移設したものだという。なので歴史が長い神社ではないけれど、ラグビーの新しい聖地の前にたつラグビー神社、御神体はラグビーボールの形をしているらしく、やはりラグビーファンならば一度は訪れておかねばならぬ場所なのだろう。

鉄とラグビーの町

 まだまだ空き地も多く、空の大きな鵜住居の町を後にする。再び三陸鉄道に乗って、釜石駅へ。釜石市は、近代以降製鉄で名を挙げた三陸地方有数の工業都市だ。江戸時代中頃に内陸部で鉄鉱石が発見され、幕末には盛岡藩士大島高任によって洋式高炉が建設される。明治初期にはすでに全国有数の鉄の町として知られており、製鉄所は官営化、日本の近代製鉄発祥の地となった。教科書にも載っている八幡製鉄所が日本で最初の近代製鉄所と思われがちだが、実際は釜石のほうが古いのである。釜石製鉄所は官営からのちに民間に払い下げられて、戦後の1959年にラグビー同好会が誕生。これがのちの新日鉄釜石ラグビー部、そして現在の釜石シーウェイブスの源流だ。

 鉄とラグビー。釜石はこの2つのキーワードで象徴される。釜石駅を降りると、その目の前には煙を上げる工場と「鉄とラグビーの町・釜石」の文字。そして釜石には無骨な鉄の塊の蒸気機関車もやってくる。JR釜石線の「SL銀河」だ。釜石線の起点・花巻は宮沢賢治のふるさと。途中には柳田国男の『遠野物語』で有名な遠野駅があって、峠を越えて鉄とラグビーのまちへ。旅情を掻き立てる旅路の先が鉄の町とはおもしろいが、どうせならば三陸鉄道で足を伸ばして少し先、鵜住居のスタジアムを眺めてみては、いかがだろうか。ラグビーの試合がない日でも、きっと何かを感じることができるはずだ。

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