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<私が裁いた名勝負>終了の瞬間、早稲田は意外な表情をみせた。 

text by

飯尾篤史

飯尾篤史Atsushi Iio

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posted2020/11/17 07:00

<私が裁いた名勝負>終了の瞬間、早稲田は意外な表情をみせた。<Number Web>

八木宏器さん。

語り継がれる名勝負をその演者のひとり、審判が振り返る。彼しか知らない新たな景色が見えてくる。

1988年 ラグビー日本選手権
早稲田大学 22対16 東芝府中
1月15日/国立競技場

国立に6万2000人を集めた一戦。早大は6分、東芝のスクラムで堀越の奪取から展開して先制。さらに今泉のPGで加点するが、前半終了間際に石川のトライで逆転を許す。後半、早大はPGで再逆転すると17分に藤掛の突進から清宮、加藤と繋ぎ右隅へ。逆襲を1トライに抑え勝利。

   ◇

 日本選手権のレフェリーに指名されたのは、1月10日に行われた早稲田対同志社の大学選手権決勝の笛を吹いたすぐあとだったと思います。身の引き締まる思いはありましたが、落ち着いていました。というのも、私は新日鉄釜石が連覇をしていた'82年度、'84年度大会でも主審を任されていて、3度目の日本選手権だったんです。

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