フランス・フットボール通信BACK NUMBER
本当なら今季のバロンドールだった!?
レバンドフスキ独占インタビュー。
text by
アントワーヌ・ブーロンAntoine Bourlon
photograph byAlexis Reau/L'Equipe
posted2020/08/22 18:00
今季の欧州サッカー界で最も実績をあげたと評価の高いロベルト・レバンドフスキ。バロンドールの最有力候補だったが……。
ドルトムントに移籍して1年目でプロの考え方に。
――当時から今日のように体系的かつ組織的なプレーをしていたのですか?
「それはもっと後のことだ。あの頃はサッカーをしているだけで単純に楽しかった。17~18歳、あるいは19歳になったぐらいにこう思った。『ここからは本気でやらないといけないな。もっともっと頑張るぞ』と。単に優れているだけではトップには登り詰められない。とにかく進化し続ける。そのためには人一倍の努力が必要だ。
ボルシア・ドルトムントに移籍(2010年、当時21歳)して1年後に気持ちの持ち方、サッカーの考え方が完全に変わった。何をすべきかがわかり始めて、年ごとに多くのことを学んだ。僕はもっと進化できる。それにはさらに努力して、完ぺきを目指さねばならないと」
――今日のスポーツでは“インターディシプリナリティ(様々なスポーツを学ぶことで、複合的に運動のレベルを上げていくこと)”がよく話題になりますが、あなたは若いころに様々なスポーツを実践しました。それは今の役に立っていますか?
「すべては語れないよ。僕の秘密のひとつだからね(笑)。たしかに子供のころはスポーツ漬けだった。母は体育の教師、父もそうで(父親は彼が16歳のときに逝去)、僕のスポーツにおけるコーチでもあった。
いろいろなスポーツにトライしたよ。器械体操、バスケットボール、ハンドボール、ホッケー……バレーボールは母や姉もやっていた。
学校ではすべてのスポーツをやりたかったし、できる限りの競技をプレーした。だからサッカーを存分にプレーする時間がなくて、それが最大の不満だった。父は元柔道選手で僕も教わったけど、彼は僕が柔道に熱心になるのをあまり喜んではいなかった。柔道の難しさをよく理解していたし、危険な競技ジャンルであるかもわかっていたからね。
結局、僕は父にこう言われたんだ。
『お前は熱心にやっているが、(柔道を続ける限り)その見返りは少ないだろう』と。
柔道で頑張ったけど、サッカーに専念するようになった理由のひとつが父の言葉だった。
今の僕は身体が柔らかく、ピッチの上でどんな動作も容易にできる。当時はそれぞれのスポーツに適応することの意味を理解していなかったけど、今はそれがどういうことなのかよくわかっている」
「ある年はチームの得点の半分を僕が決めた」
――サッカーですが、当時からゴールへのこだわりは強かったですか?
「もちろんだ! どんな試合でもまたどのポジションでプレーしても――ストライカーに限らずゲームメーカーやウィング、サイドバックであっても、できるだけたくさんゴールを決めたかった。ある年など、チームの得点の半分を僕が決めた。チーム全体で約100点取ったけど、そのうちの50点が僕だったんだ。ゴールを決めたときの達成感こそが、ピッチ上で感じる至福のときだった」