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レッズ青木拓矢&柴戸海の相乗効果。
リーグ戦1年ぶりの“完封”に貢献。 

text by

安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byJ.LEAGUE

posted2020/07/06 20:00

レッズ青木拓矢&柴戸海の相乗効果。リーグ戦1年ぶりの“完封”に貢献。<Number Web> photograph by J.LEAGUE

横浜FM・扇原からボールを奪い取ろうとする浦和・柴戸(左)と青木。2人の働きもあり、王者を無失点に抑えた。

「守備の人」だった柴戸海。

 試合を見ていても、時間の経過と共に徐々にこの2人のコンビネーションにもバリエーションが出てきた印象を受けた。

 柴戸は市立船橋高時代から「守備の人」だった。当時の市船は守備的なサッカーから攻撃的なサッカーへの転換期。柴戸の世代は朝岡隆蔵監督(現・ジェフユナイテッド千葉U-18監督)の下で革新的なサッカーに取り組んでいたのだ。

 基本システムは4-2-3-1だが、試合が始まると最終ラインは柴戸と磐瀬剛(現・ザスパクサツ群馬)の2バックとなり、両サイドバックは常に高い位置に張り出して、攻撃サッカーに厚みをもたらした。「これができるのも柴戸と磐瀬の守備力と攻守の切り替えの速さがあるからこそ。攻撃的と言っても打ち合いの試合ではなく、1-0で勝つこともできる」と朝岡監督が全幅の信頼を寄せたほど、献身性が高い頭脳的な守備が光っていた。

突出していたインターセプトの能力。

 中でも柴戸のインターセプトの能力は際立っていた。全体をオーガナイズする磐瀬に対し、柴戸は予測力と出足の鋭さに長け、守備から攻撃へのスイッチとして市船の革新的なサッカーを支え、インターハイ優勝という結果も手にした。

 恐れず言えばプレースタイルは地味。だが、高校時代には「僕はそれでいいんです。攻撃陣が個性を発揮してゴールを決められるようにどうサポートしていくか、どうリスクマネジメントをしていくか。そこを常に頭に入れながら献身的にプレーするのが自分に合っています」と話していた。進学した明治大でも“いないと困る”選手として成長し、浦和にやってきた。

【次ページ】 「攻撃的ボランチ」だった青木拓矢。

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