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3.11と東北スポーツの9年。楽天に
釜石ラグビー、J3八戸、いわきFC。
 

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川端康生

川端康生Yasuo Kawabata

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posted2020/03/11 08:00

3.11と東北スポーツの9年。楽天に釜石ラグビー、J3八戸、いわきFC。<Number Web> photograph by AFLO

2019年ラグビーW杯、フィジー対ウルグアイ戦前の光景。世界に向けてサポートしてくれたことの感謝を発信した。

ラグビーと「てんでんこ」を継承。

 もちろん道を教えてくれた男性が「やれたらいいけど」と逡巡していた通り、決断は容易ではなかった。

「やりたくない人はいないと思いますよ。本当ならやりたい。だけど、いまそんなときかどうか……」

 あのとき重い口調で明かしてくれた心中は、すべての市民に共通するものだったはずだ。
町のあちこちに仮設住宅が連なっている。友人や知人が、いや自分自身がそこにいる。ワールドカップにコストをかけるより……。

 それでも2014年、開催都市への立候補に踏み切れたのはここが「ラグビーの町」だからと言うしかない。日本選手権7連覇。燃える高炉の真紅のジャージをまとった「北の鉄人」、新日鉄釜石ラグビー部の残したレガシーが、スクラムを組んで前へ突き進むことを選ばせた。

 そして、そんな釜石(立候補都市の中で最少人口で最小スタジアム)を、ラグビー協会もIRB(世界の統括団体・当時)も当然のように国内12会場の一つに選出した。これは「ラグビーの力」。

 そうして釜石では「ワールドカップ」という「新たなレガシー」が未来へ受け継がれることになったのである。

 もちろん彼らが語り継ぐのはラグビーだけではない。スタジアムにも、伝承館にも「てんでんこ」の教えが宿っている。

 釜石から日本へ、世界へ。命を守るためのメッセージも発信され続ける。

J3八戸は沿岸部に新スタジアム。

 あの大震災から9年が経った。

 発災直後にあらゆる競技のチームや選手、そしてファンやサポーターがボランティアとして現地に赴き、支援物資を運び、がれきを片付けたのにはじまり、この9年間スポーツは被災した人々を励まし続けてきた。

 僕自身も、房総から下北まで、千葉から茨城、福島、宮城、岩手、青森と太平洋に沿って何度か往復し、それなりに長い時間を東北で過ごしてきた。おかげで(東北楽天やラグビーワールドカップほど大きなニュースにはならないが)地元の人たちが顔をほころばせ、歓喜のガッツポーズをつくるシーンを色んな町で見ることができた。

 サッカーで言えば、ヴァンラーレ八戸が昨年J3入りを果たした。実は2015年にもJFLで2位になり、順位的には昇格条件をクリアしたのだが、スタジアム要件を満たせず上がれなかった。その後、沿岸部に新スタジアムが完成したことで、ようやくJリーグにこぎつけた。

「沿岸部」でお察しの通り、スタジアムは津波被害が大きかったエリアに作られた。収容は5000人ちょっとだが、メインスタンドだけは4階建て。津波避難先を兼ねた施設としての建設だった。

【次ページ】 女川、ソニー仙台も奮闘中。

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