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青森山田・藤原優大は泣かなかった。
「もちろんこの場所に帰ってきます」 

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安藤隆人

安藤隆人Takahito Ando

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photograph byTakahito Ando

posted2020/01/20 11:40

青森山田・藤原優大は泣かなかった。「もちろんこの場所に帰ってきます」<Number Web> photograph by Takahito Ando

静岡学園FW加納に同点弾を許したシーン。青森山田DF藤原はその瞬間を振り返り、唇を噛み締めた。

伝統の堅守を司るCBへ。

 2019年は藤原にとって覚悟の1年だった。

 昨年度の選手権において、1年生としてただひとり、決勝のピッチに立って優勝を経験した。

「今年は選手権メンバーが少ないからこそ、経験している自分がそれをチームに還元しないといけないと思っています」

 この覚悟の表れがCBへの本格コンバートだった。もともと彼はトップ下やボランチでプレーする選手だったが、1年時の9月に「CBも選択肢に入れてみろ」と黒田剛監督に言われたことで、状況に応じて取り組むこととなった。

 そして優勝を支えたGK、DFラインがごっそりと抜けたことにより、新チームの堅守の中枢として白羽の矢が立ったのだった。

「自分の中で整理がついていましたし、心の中で(CB1本で)やりたい気持ちはあった。いろんなポジションができる力を生かせる時が来たとも思っています」

 早速、2018年新人戦では三國ケネディエブス(現アビスパ福岡)が背負っていた5番のユニフォームを着て、CBとして君臨。年が明けた1月の東北新人大会、3月のサニックス杯などを経験していくうちに、自身も手応えを感じていた。

中学時代から知る主将・武田の変化。

 だが、いざプレミアリーグEASTが始まると、その認識が甘かったことに気づかれる。

「緊張感と、対峙するFWのレベルが上がったこともあって、一気に自分のプレーが通用しないシーンが出てきた。その中で仲間に助けてもらっている自分が情けないというか、責任を果たせていない自分がいた。青森山田のCBがこれでいいのかと思い始めました」

 自分に課せられた責務の重さに気づく日々。それは現チームにおいて、昨年度の唯一のレギュラーとして攻撃の中枢を担っていたMF武田英寿の姿を見ても分かった。

「ヒデさん(武田)も中学から含めると5年間も一緒にやっていますが、10番とキャプテンマークを託されたことで本当に変わった。食事も含めて、ピッチ内外での雰囲気も変わったし、それは同時に強烈なプレッシャーと戦っているように見えた。だからこそ、僕も同じピッチに2年生で立たせてもらって、ひと桁番号をもらっている以上、責任を果たさないと他のレギュラー、ベンチ、ベンチ外の選手たちに示しがつかないと思った」

 意識が大きく変わった。それに彼にはここで成長しないといけない理由があった。

【次ページ】 青森出身の柴崎岳のように。

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