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ゼルビアとサイバーエージェントの
関係で理解したい「FC町田」の歴史。 

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郡司聡

郡司聡Satoshi Gunji

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photograph byFcMachidaZelvia

posted2019/10/17 18:00

ゼルビアとサイバーエージェントの関係で理解したい「FC町田」の歴史。<Number Web> photograph by FcMachidaZelvia

サイバーエージェントとの関係性が注目される町田ゼルビア。クラブが過渡期を迎えている中で、今後どのような歩みを見せるのか。

クラブのルーツはFC町田にある。

 こうして、重田氏や守屋相談役らが種を蒔き、花を咲かせた町田というクラブは、少年サッカーチームを発祥とする市民クラブとして、バトンが受け継がれていく。

 先人たちが紡いできた思いと歴史の拠り所は、町田というクラブが、“少年サッカーの街・町田の象徴的な存在”で在り続けること。その1点でしかなく、クラブのルーツはFC町田にある、ということだ。

 前述のように1989年にサッカークラブとしてのピラミッドが完成した町田は、将来的なJリーグ参入を目指す中でクラブの体制も変化していく。

 '98年にはチーム名を「FC町田ゼルビア」に改め、2008年にはNPO法人だった運営会社を株式会社へ移管した。株式会社ゼルビアのトップには、株式会社化に向けた準備委員会の代表を務めていた下川浩之氏が就任。そして下川体制から10年あまりが経過した昨年の4月、FC町田のOB選手でもある大友健寿氏が、取締役社長に着任した(下川氏は代表取締役会長職へと移行)。

 クラブの体制が変化する過程で、現場のトップチームも次第に大きな成果を残していく。2012年にJリーグへ参入し、下部リーグへ1年で降格したものの、'15年に大分トリニータとのJ2・J3入れ替え戦を制して、'16年からJ2に復帰。そしてJ2復帰3年目の'18年は、上位を維持し、最終的にシーズン4位で終えるなど、成績面ではJ1昇格も視野に入ってきた。

自助努力での資金調達は限界だった。

 しかし、現場のトップチームが奮闘する一方で、クラブを取り巻く環境はなかなか整わない。悲願であるJ1ライセンス取得に向けては、スタジアムと練習環境の整備という、2つの大きなハードルが立ちはだかってきた。

 それでも、ホームの町田市立陸上競技場をJ1規格(収容人員・1万5000人規模)に改修するハードルは、行政の協力・支援により、2021年3月には完成するメドが立った。

 しかし、クラブハウスなどその他のハード面の整備はいかんともし難く、7億円の予算規模のクラブが、自助努力で資金を調達するのはもう限界だった。こうして町田市にホームタウンを置く町田の、多くの先人たちにより紡がれてきたバトンが昨年10月、CAグループに受け継がれた。

 11日のサポーターミーティング終了後、藤田オーナーはクラブの改名について、「サポーターと膝を突き合わせて話し合うことで、良い結論を導いていきたい」と話した。

 クラブの起源であるFC町田誕生を“第一世代”、Jリーグ参入に向けた2008年の株式会社化を“第二世代”とするならば、CAグループ参画後の町田は、“第三世代”といったところだろう。

“第三世代”の町田は、どんな道を歩むのか。その未来は、まだ誰も知る由がない。
 

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FC町田ゼルビア
李漢宰

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