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釜石で起きたラグビーW杯の奇跡。
やっと味わえた「特別な空間」。 

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金子達仁

金子達仁Tatsuhito Kaneko

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posted2019/09/27 20:00

釜石で起きたラグビーW杯の奇跡。やっと味わえた「特別な空間」。<Number Web> photograph by Getty Images

16年ぶりのW杯勝利を手にしたウルグアイ代表。釜石の地で大番狂わせを演じた。

数えきれないほどの笑顔とハイタッチ。

 釜石は、道頓堀だった。渋谷だった。ディズニーランドだった。スタジアムというスペース・マウンテンから離れても、非日常的な空間が広がっていた。

 全国から集まったというボランティアの方々は、盛り上げようとするのではなく、自分たちがまず盛り上がっていた。

 訪れたファンは、スタジアムに到着するまでに、数えきれないほどの笑顔とハイタッチに遭遇した。スタジアムの周辺には、多くのキッチンカーが並び、食べる楽しみを提供していた。

 わたしが初めて行ったサッカーのワールドカップ、'86年のメキシコ大会がそうだったように。

 巨大化の代償として、大口スポンサーの権利が極めて重視されるようになったサッカーのワールドカップからは、かつてはあった非日常的な空気、言ってみれば“縁日の愉悦”がどんどんと消されている。でも、'86年のメキシコではバドワイザー以外のビールも、マクドナルド以外のファストフードも、何の問題もなく楽しむことができていた。

国旗をなびかせ「メヒコ! メヒコ!」

 学生だったわたしは、スタジアム周辺に軒を連ねた屋台で生搾りのスモ・デ・ナランハ(オレンジジュース)を楽しみ、いろいろな種類のタコスで空腹を満たし、テカテ(ビールの銘柄)やサカパ(ラム酒の銘柄)で酔っぱらった。

 街を行くクルマは盛大にクラクションを鳴らし、助手席からメキシコ国旗をなびかせ、信号で止まるたびに「メヒコ! メヒコ!」の大合唱が始まった。だから、たとえ試合が恐ろしく退屈なものであろうとも(たとえば韓国対ブルガリアとか)、スタジアムへ向かう時間や、ホテルの付近を散歩するときまで、普段では、日本では絶対に味わえない体験をすることができた。サッカーの試合が90分、つまり1時間半だとするならば、33年前のメキシコでの一日は、残り22時間半も特別だったのだ。

 そこかしこで大漁旗が振られ、人々が笑顔を輝かせていた釜石は──言ってみれば、ちょっと奥ゆかし目なメキシコだった。

【次ページ】 特別なスタジアムでの大番狂わせ。

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