「谷間の世代」と呼ばれて。BACK NUMBER
ファンタジスタ松井大輔が明かす
南アW杯、駒野&阿部との涙と絆。
text by
浅田真樹Masaki Asada
photograph byYuki Suenaga
posted2019/09/02 17:00
38歳ながら横浜FCで欠かせない戦力の松井大輔。谷間の世代のファンタジスタは渋みを増し続けている。
南アW杯で輝いた谷間の世代。
果たして、松井の願いが成就するのは4年後のこと。迎えた2010年ワールドカップは、松井個人にとってはもちろん、谷間の世代全体の歩みにおいても、ハイライトと呼ぶにふさわしい大会だったのではないだろうか。
ワールドユースから9年、アテネ五輪から6年。かつては、「谷間の世代とか、ワールドユースで負けたとか、どうでもいい話」だった松井の意識にも、不思議と変化が生まれていた。
「2006年からの4年間、レギュラーじゃなかった時期もありましたけど、最後には(ワールドカップのメンバーに)選ばれた。で、ワールドカップに出てみたら、『あ、自分と同い年の選手が多いな』と(笑)」
この大会、日本はグループリーグ3試合と決勝トーナメント1回戦の全4試合をすべて同じ先発メンバーで戦っているが、そのうち、1981年生まれの選手が4人。ワールドユースやアテネ五輪をともに戦った1982年生まれも加えれば、全11人中5人が谷間の世代だった。
黄金世代と比較され、ずっと低評価を受けてきた世代が多くを占めたチームは、大会前の低評価を覆し、決勝トーナメント進出。それまでの主力選手が調子を落としたり、大会直前に戦い方を変更したりと、苦しい状況にあったチームを谷間の世代が救った。そう言ってもいいだろう。
自分たちのことが分かっている世代。
「高い評価をされることもなく、弱い弱いって言われていたからこそ、自分たちも反骨心じゃないですけど、見返してやろうと頑張れた。闘莉王も言っていましたけど、『オレらは下手くそなんだから、下手くそなりにやろう』と。そんなふうにみんなが一致団結して、まあ、当時はそれしか策がなかったのかもしれないけど、そのなかで最大限のものが出せたんだと思います」
松井が当時の戦いを振り返って、続ける。
「僕たちの世代は、すごく強い個性はなかったかもしれないですけど、それを補うだけのチームワークがあり、チームのピースとしてそれぞれのポジションでしっかり仕事をこなせるヤツらがいっぱいいた。自分たちのことを分かっている世代、だったのかな、と思います」