「谷間の世代」と呼ばれて。BACK NUMBER

谷間の世代・初代主将、羽田憲司。
今も残る悔恨と鹿島コーチでの野心。 

text by

浅田真樹

浅田真樹Masaki Asada

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photograph byYuki Suenaga

posted2019/08/08 11:50

谷間の世代・初代主将、羽田憲司。今も残る悔恨と鹿島コーチでの野心。<Number Web> photograph by Yuki Suenaga

2001年ワールドユースに挑んだU-20日本代表で、背番号5のキャプテンだった羽田憲司。現在は鹿島でコーチを務める。

7年目の指導者として考えること。

 羽田が指導者の道を歩み始めて、すでに7年目を迎えた。その間、多くの現役選手が成長する様子を、コーチとしてある意味で客観的に見てきた。そんな羽田が今振り返る谷間の世代とは、いかなるものだったのだろうか。

「今は(今年のU-20ワールドカップに出場したU-20代表に)もうJリーグでバリバリ試合に出ている若い子たちが入っている。それに比べると、自分たちの世代は、プロに入って最初から試合に出ていた選手が少なかったのは事実だと思います。だから、やっぱり谷間だったのかもしれませんね(苦笑)」

 とはいえ、37歳になった自分と同世代の仲間が、いまだ現役選手としてピッチに立っている姿を見て、こうも感じている。

「悪い言い方をすれば、(成長が)遅かった。でも、いい言い方をすれば、着実に力をつけて今の位置にたどり着いた。苦しい時期にしっかりトレーニングを積んで頑張ったから、長く現役としてやれている。ネームバリューでは黄金世代には及ばなくても、やっぱり、いい選手は多かったんです」

気になる「阿部ちゃん」の存在。

 最近は同世代の選手と(あくまでもコーチとしてではあるが)J1で対戦する機会も少なくなった。「寂しいですね」と話す羽田が、特に気になるのは、同じ千葉県出身である阿部勇樹の存在だ。

「阿部ちゃんとは、小学生のときから同じチームでやることもあったし、いつもスゲーなって思って見ていました。自分よりいつもひとつふたつ前を行っていたので、僕にとっては目標というか、阿部ちゃんに追いつこうと思って頑張っていました」

 その阿部が浦和レッズで徐々に出場機会を減らしているのを目にし、羽田は同世代がいよいよキャリアの晩年に入っていることを実感する。と同時に、だからこそ、いまだプレーを続ける仲間には、理屈抜きで頑張ってほしいとも思っている。

「年齢的にJ2(でプレーする選手)が多くなってきましたよね。できれば、J1でプレーしてほしいけど。それでも、まだ現役を続けているみんなには、長く頑張ってほしい。それはすごく思います。気になるし、やっぱり応援しています」

 もちろん、仲間に夢を託すだけではない。

「僕は選手としてはうまくいかなかったけれど、現役を早く辞めた分、監督として成功したい。そういう野心は持っています」

 谷間の世代のキャプテンは、世代屈指のセンターバックであるばかりでなく、世代屈指のリーダーでもあった。成功の資質は備えているはずである。

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羽田憲司
鹿島アントラーズ

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