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瀬戸大也が世界水泳で証明したもの。
リオ五輪の「銅」から始まった進化。

posted2019/08/04 18:00

 
瀬戸大也が世界水泳で証明したもの。リオ五輪の「銅」から始まった進化。<Number Web> photograph by Hiroyuki Nakamura

200m個人メドレーに加え、400m個人メドレーでも金メダルを獲得。通算4個で日本競泳史上最多となった。

text by

松原孝臣

松原孝臣Takaomi Matsubara

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Hiroyuki Nakamura

 先日閉幕した世界水泳選手権の競泳で、最も光ったのは瀬戸大也だった。

 最初の種目の200mバタフライで銀メダルを獲得すると、200m個人メドレーでは金メダル。さらに400m個人メドレーでも金メダルを手にした。日本水泳連盟の規定により、200m個人メドレーと400m個人メドレーでは東京五輪代表の座も得た。

 しかも、それら個人種目の間には江原騎士が故障したことから、当初出る予定がなかった4×200mフリーリレーにも出場しての成績だ。

 大会を通じて好調を維持し、タフネスも見せつけた。2013、2015年の大会でも400m個人メドレーで優勝している瀬戸は、世界選手権での金メダルは通算4個となった。これは日本競泳史上最多である。

 記念すべき大会となった2019年は、瀬戸の進化を証明してみせる場でもあった。

「長い強化を耐えてこそ強くなれます」

「積み上げてきた練習の成果を発揮できてよかったです」

 大会を終えての言葉には、新たに身につけた強さが表れていた。

「コツコツやるのがあまり好きじゃない」

 2015年の世界選手権で金メダルを獲得したあと、瀬戸はこんなことを言っていた。

「練習、コツコツやるのがあまり好きじゃないんです」

 指導にあたってきた梅原孝之コーチもまた、「練習はそんなに好きじゃないんですよね」と当時、語っている。誤解のないように言うと、練習嫌いなわけではなかった。ただ、コーチに認められるほど熱心なわけでもなかった。

 一方で、試合そのものは好きだったから、多くの大会に出ること、大会の中で多種目を泳ぐことは、「疲れた」と言いつつ、苦にはしなかった。その中で強さも培い、世界のトップを争うスイマーとなっていった。

【次ページ】 リオ五輪で感じた「努力」の差。

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