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平日は会社員、週末になると審判員。
元甲府DF御厨貴文が“プロ”に再挑戦。

posted2018/07/04 16:30

 
平日は会社員、週末になると審判員。元甲府DF御厨貴文が“プロ”に再挑戦。<Number Web> photograph by Isao Watanabe

試合をさばかれるJリーガーから、さばく審判に。御厨貴文のサッカー人生は今も続く。

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渡辺功

渡辺功Isao Watanabe

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Isao Watanabe

「いまになって振り返ると、どれほど失礼なことをしていたんだろうと思いますよ。現役時代には知らなかったことが、あまりに多くあって……」

 自戒を込めて苦笑いする御厨(みくりや)貴文さんは、長崎県生まれの34歳。2007年に大阪体育大から当時J1のヴァンフォーレ甲府に入団した、スピードが特長のDFだ。8年間の現役生活でリーグ戦159試合に出場。移籍先のザスパ草津(現・ザスパクサツ群馬)とカターレ富山では、それぞれキャプテンも務めた。

「1-0でリードしていた試合でした。アディショナルタイムは3分と表示されたのに、やたら長くてなかなか試合が終わらなかったんで。『もう何分経ったと思っているんですか』という意味のことを、とってもイキのいい表現で(笑)。

 主審に言って、イエローカードをもらったことがあったんです。アディショナルタイムの間に選手交代やケガ人が出たときには、開示はされないけれどアディショナルタイムが追加されるというルールを知らなかったんですよ。それがプロになって、もう5、6年が過ぎたあとの話ですからね。ホントお恥ずかしい限りです」

 そんな反省しきりの元Jリーガーはいま、プロフェッショナルレフェリーとしてピッチに立つことを目指して、多忙な毎日を送っている。

30歳となり、国際副審の話を聞いた。

 富山在籍2年目だった'14年シーズン、チームはJ2の最下位に終わった。J3降格となったクラブはフロント以下、強化部、現場スタッフと、大幅に体制を入れ替えることになった。複数年で結んでいた契約は翌シーズンも残っていたが、自分に求められる役割の変化、秋に手術した右足首の状態や30歳になった年齢。さまざまな要素が重なり、自分の現在と将来について一度考え直すことにした。

「サッカーを続けるのか辞めるのか。移籍するのかしないのか。あらゆる選択肢をフラットな視点から見るために、できるだけサッカー界以外の人たちのところへ、いろんな話を聞きに行ったんです」

 営業職のサラリーマン、企業経営者、大学教授……。友人知人の伝手をたどり、さまざまな人のもとへ足を運んでは、新鮮な知己を得た。そんななかのひとりに、'14年W杯開幕戦のブラジル対クロアチア戦も担当した国際副審の名木利幸さんがいた。

 '98年からJリーグのプロ副審を務めていた名木さんは、今年1月末をもってプロフェッショナルレフェリーを退任、現在は後進の育成にあたる審判ダイレクターとして、インドネシアサッカー連盟に派遣されている。

【次ページ】 J1、J2クラブから声がかかっていたが。

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