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全てはクロフネの衝撃から始まった。
チャンピオンズCと交流GIの深い関係。 

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島田明宏

島田明宏Akihiro Shimada

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posted2017/12/02 08:00

全てはクロフネの衝撃から始まった。チャンピオンズCと交流GIの深い関係。<Number Web> photograph by Getty Images

ダートで走ったのは2戦だけだったが、砂の鬼として圧倒的なインパクトを残したクロフネ。現在は種牡馬生活を送る。

土曜から日曜、東京から阪神、中京と転々。

 土曜日にGIが行われることに関しては当初から賛否があった。新鮮でいいという声もあったが、やはり日曜日に比べると、客足も売上げも苦戦した。

 また、ダート競馬の本場アメリカの競馬場はすべて左回りなので、左回りの東京が舞台となるのはごく自然なことではあったのだが、それでも外国馬の出走数は今ひとつだった。東京開催の第1回から第8回までの数を並べると、2頭、5頭、4頭、2頭、3頭、3頭、0頭、3頭。自国の「土」のような軽いダートと、パワーを要する日本の「砂」との質がまったく異なるため、魅力ある舞台とは思われなかったのだろう。

 2008年の第9回から阪神での開催となった背景には、左回りでも外国馬がそんなに集まらないのなら、集客と売上げを優先させて日曜日に右回りで実施してもいいのでは、という考えもあったのだろう。

 それをまた左回りの中京に変更したのは、少しでもアメリカやUAEなどの馬を呼ぼうと考えたためか。それとも、朝日杯フューチュリティステークスが中山から阪神に移ることにより、阪神でのGIが多くなりすぎるのでバランスを考えた部分もあったのか。

チャンピオンズカップと交流GIの関係は案外古い。

 こうした変遷を辿ってきたチャンピオンズカップが、いつから交流GIと同じシリーズに組み込まれたのだろう――そう思って、過去の勝ち馬を見ると、その流れは案外古かった。

 第1回の勝ち馬ウイングアローが、第2回でクロフネの2着となった次走、東京大賞典で10着になっている。

 これぞ、という感じがするのは2004年、第5回の勝ち馬タイムパラドックスだ。2004年はJBCクラシック3着→ジャパンカップダート1着→東京大賞典4着。翌2005年はJBCクラシック1着→ジャパンカップダート4着→東京大賞典3着になっている。

 考えてみれば、東京大賞典は今年63回目を迎える歴史があり、50年以上前から12月下旬に行われている。またJBCクラシックは、ジャパンカップダートの翌年に創設された。これら3つのレースがローテーションとして結びつくのは自然なことだ。

【次ページ】 サウンドトゥルーがJBCクラシックを勝っているが。

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