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コービーとシャックの長年の軋轢。
ついに和解した、意外な理由とは? 

text by

長澤壮太郎

長澤壮太郎Sotaro Nagasawa

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photograph byreuters/AFLO

posted2015/09/25 11:00

コービーとシャックの長年の軋轢。ついに和解した、意外な理由とは?<Number Web> photograph by reuters/AFLO

どんなに仲違いしていたとしても、レイカーズでの輝かしい戦績が色褪せることは無い。

育った環境が、2人を隔てたとの説も。

 コービーは、コート上でさえ結果を出せば、周りと必要以上に仲良くせずとも認めてもらえ、居場所ができるものと信じ、ひたすらバスケにだけ打ち込んでいました。シャックはNBAの選手全員を1つの大きなファミリーと考え、チームでつるむのを好み、その中心に自分がいると考えたのです。

 大きく考えが違う2人には育った環境の差も影響しています。元NBA選手を父に持つコービーは、父が海外でプレーした時イタリアに住んでいたこともあり、プロの世界で生き抜く厳しさを肌で感じて育ちました。

 一方シャックは、育ての親フィリップ・ハリソンさんが軍人だったため、仲間を大切にするよう厳格な教育を受けました。またシャックは子供の頃から体格がずば抜けて大きく、周りから目立って孤立してしまいがちだったため、友達を作るには面白い人気者になるしかなかったのです。シャックのお決まりのブレイクダンスも、鈍臭いデカイ奴というレッテルを払拭するため必死に覚えたものだと、自身の伝記でも述べています。

孤高のコービーと派手な生活のシャック。

 世界最高峰のNBAで活躍するためには、個人の実力がずば抜けていなくてはならない、ただ仲間との連帯なくしてチームは勝てない。

 コービーは全身全霊をバスケに捧げ、誰よりも練習に励みましたが、競争意識があまりにも激しく周りとの協調が取れず孤立していきました(チームのほとんどがシャック側のスタンスだったのです)。シャックはといえば、オフコートの派手な活躍が目立ち、選手としてのコンディション作りに失敗していました。互いにそういった部分が許せなくなり、関係は悪化する一方でした。

 3度の優勝、ファイナル進出4回と輝かしい成績を残しながらも最後は契約更新時期が重なり、どちらを球団が選ぶのか究極の選択が迫られました。球団は、キャリア終盤に差し掛かり高額の報酬を求めているシャックよりも、若いスターのコービーを選び、シャックはマイアミ・ヒートへとトレードされ最強コンビは解体しました。

 多くの関係者やファンは、コービーがシャックを追い出すように仕向けたと思っているようですが、コービーに「シャックに大金を払うより君にチームを預けるとしたら、君はその大役を全うできるか?」と持ちかけたのは元オーナーの故ドクター・ジェリー・バスでした。もちろんコービーは、最高の笑顔でそれを承諾したのです。

【次ページ】 意外な展開で雪解けを迎えた2人。

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