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オリックス・東明大貴のルーツとは?
「超隠し玉」だった大学1年生の頃。

posted2015/09/25 10:30

 
オリックス・東明大貴のルーツとは?「超隠し玉」だった大学1年生の頃。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

プロ2年目にして二桁勝利を挙げた東明大貴。四球の少なさにも特徴がある。

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安倍昌彦

安倍昌彦Masahiko Abe

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NIKKAN SPORTS

 その時の桐蔭横浜大・齊藤博久監督の顔を私は忘れない。

「安倍さん、こんなピッチャー、知らなかったでしょ」

 そう言って、してやったり……って顔でニッと笑ったものだ。

 時は2008年。桐蔭横浜大で1年生の“東明”という投手がやけに頑張っている。くわしい内容はわからないが、とにかくリーグ戦に先発しては勝っている。東明という名字の読み方もわからなければ、高校の時の心当たりもない。

 一も二もなく見に行った。

 こんなフォームで投げて、よく肩を壊さないものだ……。最初に見た時に驚いた。

 テークバックがいきなりお尻の後ろに入る。普通ならそこから肩は上に上がらないものだが(試してごらんになってください)、この東明大貴なるルーキーは、そこから右腕がきれいに巻き上がって、タテの腕の振りでボールを投げ下ろしてくる。

 だから打者から見ると、一瞬腕の振りが遅れてタイミングが難しい。そのうえ、すばらしくスピンの効いたストレートを投げ込んできて、スコアボードに表示される球速は138、9なのに、甲子園で鳴らしたバットマンたちも結構いる神奈川リーグの打者たちが、端からみんな差し込まれている。

 たしか、1失点ぐらいで完投した試合だったと思う。

 試合が終わって、顔を合わせた齊藤監督の第一声が最初の“かちどき”であった。

東明は、「超」のつく隠し球だった。

 水戸短大附高(現・水戸啓明高)の監督をされていた頃に、鴨志田貴司投手(元・オリックス)のピッチングを受けさせていただいて、齊藤監督とはそれ以来のお付き合いである。

 桐蔭横浜大の立ち上げとともに監督に就任し、ご苦労を重ねながら、チームを全国クラスに育て上げ、2012年には明治神宮大会で優勝。名実ともに強豪の仲間入りを果たした。

 選手集めで各地の高校の大会をまわっていた齊藤監督と、妙にあちこちで顔を合わせ、お互いに「こんなところにまで……」と感心し合っているうちに、会えば、あの選手知ってますか? こんな選手見ました? と、それぞれに“隠し玉”を披露し合って、なんとなくそれを競うような気分になっていた。

 そんな流れの中で、齊藤監督が持ち出してきた「超」のつく隠し玉が東明大貴、「とうめい・だいき」だったのだ。

【次ページ】 新人王筆頭かと思ったら、1年目は苦労した。

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