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師弟対談 清原和博×中村順司
KK世代の重圧とPLチャーハン。
posted2015/08/14 10:30
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph by
Tomoyuki Honda
「僕の故郷は福岡県の中間市。高倉健さんと仰木彬さんが生まれたところでね。僕は仰木さんに憧れて野球を始めて、同じ東筑高校に進む予定だったけど、中3の時にPLのセレクションを受ける機会があって、大阪に行くことになった。その仰木さんが、君の引退の花道、最後の男道をオリックスで作ってくれた。嬉しいなあ、ありがたいなあ、と思って、生前にお礼を申し上げたことがあります」
対談の終盤にさしかかったころ、年を重ね、顔立ちが幾分まるくなった中村順司さんはこう話すと、目の前に座っているかつての教え子に柔らかな笑顔を見せた。
「ありがとうございます」
清原和博さんは、あまり周囲に見せたことのなさそうな、照れくさそうな顔をして、言葉を返した。
「仰木さんは入団交渉のとき、僕がずっと痛めている膝のことを、1回も聞かなかったんです。『なんで僕なんですか。僕の年俸で元気な外国人を獲ったらいいじゃないですか』って言っても……」
「そういう人、そういう人。仰木さんは、そういう人なんだよ」──
1年生の清原をレギュラーに起用した意外な理由。
清原さんと、1998年までPL学園高校野球部を率いた名将中の名将、中村さんとの対談は意外にも今回が初めて。高校野球100年という節目の年のNumber883号「夏の甲子園 百年の青春」にふさわしい豪華企画となった。
PL野球部の強さの秘密、KK人気の過熱ぶり、厳しい寮生活の実態、そして、苦境に立たされた今の野球部への思い──2人の話は多岐にわたったが、ここでは、こぼれ話をいくつか紹介しよう。
まず、清原さんはなぜ1年でレギュラーを獲得できたのか。
中村さんは、あっけらかんとこんな話をしてくれた。
「あの年(1983年)、上級生の身長はずいぶんと低くてね。キャッチャー森上が170(cm)ぐらい、セカンド住田は165、6しかないし、ショート朝山が168、サード山中で170いくかいかないか──そこでファーストにごっついやつがおったら、このちいちゃい選手たちを大きく見せられるかなと思ってね。清原、184、5ぐらいあったよな?」
「はい」
「まあ、それだけじゃなくてね(笑)。ちゃんと練習試合で仲田くん(幸司、興南高、のちに阪神)から二塁打を打ったし、守備も上手だった。打てても守備がダメならレギュラーにはなれません」
一瞬「そこですか?」と突っ込みたくなったが、攻守ともに実力があってこその抜擢だった。
もう一つ意外だったのは、中村さんにとっては、KK世代の頃が一番、指導者として苦しい時期だった、ということ。