岩渕健輔、ラグビーW杯と東京五輪のためにBACK NUMBER
世界と戦えない「武器」はいらない。
ラグビー界の技術・組織信仰を問う。
posted2015/04/07 10:40
text by
岩渕健輔Kensuke Iwabuchi
photograph by
AFLO
「日本人選手は手先が器用で、ボールを扱うテクニックやパスの正確さに秀でている。日本のラグビーは、こういう特徴を活かさなければならない」
「規律を守ろうとする意識が高く、チームに尽くそうという気持ちも非常に強い。組織的なプレーこそが武器になる」
世界といかに戦っていくべきかを論じる際に、よく耳にする主張です。
むろん、日本ラグビーや日本人選手の良さを活かしたモデルの構築なくして、世界の頂点を目指すことは不可能です。私が代表ヘッドコーチのエディー・ジョーンズや協会のスタッフと共に取り組んできたのも、「ジャパン・ウェイ(日本独自の戦い方)」を確立することでした。
しかし過去においては、「日本らしいラグビー」というスローガンは諸刃の剣になってきました。それどころか、代表の躍進を妨げる隘路にさえなってきたのです。
器用さも組織性も、パワーの差があると発揮できない。
まずは「手先の器用さや、パスの正確さを活かすべきだ」という議論を考えてみましょう。
たとえばラグビーには“合わせの練習”と呼ばれるものがあります。相手の選手がいない状態で、ラインアウトからパス交換を経て、トライにつなげていくパターン練習ですが、この種の練習をやらせると日本はたしかに世界で最もうまい。緻密で正確、そして滑らかなパス交換は、ニュージーランドやオーストラリアなどの指導者でさえ驚くほどです。
しかしW杯などの舞台では、ボール扱いの上手さや正確なパスワークは、日本の武器になってきませんでした。敵が存在しないときにしかうまく機能しないからです。現に強烈なプレッシャーにさらされると、プレーの正確さや緻密さにおいて、相手に劣る場面の方が数多く見られてきました。
論拠の危うさは「組織性の高さが武器になる」という主張も同様です。
日本ラグビーの生命線が、組織的なプレーにあることは指摘するまでもありません。ところがインテンシティー(強度)の高いプレーが連続すると、目指していたはずの組織的なプレーが展開できなくなってしまう。個々の選手はチームに尽くそうと固く心に誓っていたとしても、相手にパワーで圧倒され、スタミナ切れを起こすからです。語弊を恐れず述べれば、日本のアドバンテージとされていた要素は、世界の舞台では武器として通用してこなかったのが実情なのです。