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ヤマハ初Vを叶えた大田尾竜彦の金言。
~解散危機を知る33歳、不屈の心~ 

text by

大友信彦

大友信彦Nobuhiko Otomo

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photograph byYuuri Tanimoto

posted2015/03/27 10:00

ヤマハ初Vを叶えた大田尾竜彦の金言。~解散危機を知る33歳、不屈の心~<Number Web> photograph by Yuuri Tanimoto

日本選手権決勝でも最前線のコンタクトから最後尾のバッキングまで、大奮闘した大田尾。

 シーズンファイナルとなる日本選手権決勝。半年に及ぶ激戦を物語る荒れた芝の上でコブシを突き上げたのは、サックスブルーのジャージーだった。

 ヤマハ発動機15-3サントリー。52回を数える日本選手権で、新たな王者が誕生したのは2007年度の三洋電機(現パナソニック)以来だ。

 首都圏や京阪神など大都市圏のチームが多いトップリーグにあって、本拠地は静岡県磐田市。1982年の創部もラグビー強豪では際立つ若さだ。

 そしてヤマハにはもうひとつ、他の上位チームにはない経歴があった。それは、廃部の危機を乗り越えたという過去だ。

 2009年11月、本社の経営不振に伴い、降って湧いた「活動縮小」の騒動。プロ契約選手の廃止。'04年度にはトップリーグ2位、旧マイクロソフト杯準優勝など、頂点も目前と言われていたチームは一転、クラブ解散の可能性さえ取りざたされた。試合をしても、選手たちは自分の身の振り方を考えるばかりで、結束には程遠かった。チームは存続したものの、失望して他チームへ移る選手も続出した。'10年度はトップリーグ最少の部員36人での戦いを強いられ、11位に低迷。屈辱の入替戦を経験した。

「今入替戦に行ってるチームも、諦めないでやってほしい」

「諦めなくて良かったな」

 サントリーを破った決勝のあとで、そう言ったのはプレーイングアドバイザーの大田尾竜彦だ。バックス先発最年長の33歳は、プロップ山村亮とともに11年目のチーム最古参だ。活動縮小のときは27歳と脂ののった時期だった。

「僕もいくつかのチームに誘われました。でも日本一を目指すなら、やっぱりヤマハが一番近いと思って残ったんです」

 そこから5年での頂点獲得。日本一になれた理由は? と問われた大田尾はまた「諦めなかったこと」と言った。

「ホントに、諦めないことが大事だなと思う。だから、今入替戦に行ってるチームも、諦めないでやってほしい」

 悲願成就の直後というのに、大田尾は、いま苦境にある他チームを思いやった。

 清宮克幸監督の采配、早朝レスリング練習で鍛えたフィジカル力とタックル力、セットプレーの充実。勝因はいくつも挙げられるが、強いだけでは勝てないのが日本選手権だ。新興チームが頂点を掴むまでの道のりが、そこに透けて見えた。

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