マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
華やかなドラフトの陰で流れる“涙”。
無指名、意中外、育成枠の男たち。
posted2014/11/08 10:50
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph by
Hideki Sugiyama
プロ野球日本シリーズが終わり、現在社会人野球も最後の大きな大会を迎えている。「日本選手権」の行なわれている大阪に、2日間だけ行ってきた。
毎年秋の今ごろにこの京セラドームにやって来るのだが、いつも思い出すことがある。
2006年。
その年のドラフトは「高校生ドラフト」と「大学・社会人ドラフト」の2つに分けて、日程も別で行なわれていて、「大学・社会人ドラフト」は「日本選手権」の真っ最中に実施された。
当時、JR東日本東北のエースだった攝津正(現ソフトバンク)が先発投手として投げていたその日、東京ではちょうどドラフト会議が行なわれることになっていた。
秋田経法大付高から入社してすでに6年目。
3年目あたりからチームの主軸として投げ始め、2007年には“絶対的エース”として、毎年のようにドラフト候補に挙げられるようになっていた。
実際その年は、ある球団から“お墨付き”もいただいていたという。
もちろん、試合中に指名を知らされることはない。
しかし、渾身の投球で社会人野球の有終の美を飾り、鮮やかに締めくくったあとで、「おめでとう!」。おそらく、そんなイメージを抱きつつ務めた“社会人最後”のマウンドのはずだった。
最高のピッチング、しかし「指名」はなかった。
相手は強豪JX-ENEOSだ。
両サイドを丹念に突きながら、気迫満点のピッチングで社会人屈指の強打線に立ち向かい、序盤の3イニングはピシャリと抑えたが中盤、失投を長打にされて4点を失い、結局思わぬ大差をつけられての敗退。
だからというわけでもなかったのだろうが、この年攝津の「指名」はなかった。
けなげに囲み取材に応じながら、目を真っ赤にして質問に応じていた攝津投手の姿が、記憶の向こうにまだなまなましい。
取材を終えて、声をあげて涙したことは、あとになって人から聞いた。心の芯から折れてしまいそうなショックだったことだろう。