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斎藤監督と横山部長の名タッグ。
聖光学院を前進させる“2人の監督”。 

text by

田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byRyuki Matsuhashi

posted2014/08/27 10:30

斎藤監督と横山部長の名タッグ。聖光学院を前進させる“2人の監督”。<Number Web> photograph by Ryuki Matsuhashi

聖光学院の斎藤智也監督(左)と、横山博英部長。横山部長は高校野球界の名コーチ、横浜の小倉清一郎氏とも交流があった。

斎藤監督とのタッグは15年以上。

 昨秋の福島県大会で県内の連勝記録を95でストップさせるなど、結束力に欠け「ダメなチーム」と呼ばれたチーム。それが最後の夏でひとつにまとまり、甲子園でも周囲を納得させるだけの結果を残した。

 聖光学院としては初、県勢でも1971年に準優勝した磐城以来、43年ぶりとなる3勝をマークしてベスト8進出。その陰で、横山部長が果たした役割はあまりにも大きい。

 斎藤監督はこう断言する。

「Bチームの監督を務めている横山部長の存在はすごく大きいですよね。もう、私の右腕どころじゃないですよ。うちは野球、生活態度、人間育成を大事にしています。だからといって、私は自分の考え全てを浸透させようと思っているわけではありませんが、横山部長は本当にその全てを理解してくれている。

 彼が未熟な選手たちを一人前に育て上げて、私が指揮するAチームに送り出してくれるから、私は細かい指導をすることなくメンタル面の強化に集中して、チームをひとつにまとめることだけに専念できるんです。部長がいないとチームは成り立ちませんね」

 部長兼コーチとして15年以上も斎藤監督とタッグを組む参謀の存在は、聖光学院の強さの根源となっているのだ。

吸収の意欲につながった「外様」の自覚。

 斎藤監督から全幅の信頼を寄せられ、Bチームを一手に担う横山部長の信念はこうだ。

「BチームはAチームに選手を送り出すための土台作りですから、技術、精神面も含めてその選手に合った指導法を見つけて育てていかないといけません。だからといって新チーム発足後に、夏に引退したAチームとの差がありすぎるようだと、僕がBチームを見ている意味がなくなってしまいます。そうならないように、監督の意向を汲み取りながら二人三脚でBチームの育成に精力を注いでいかなければならないんです」

 母校である土浦日大のコーチを経て、聖光学院に赴任してきたのは'98年。今でこそその意識もだいぶ薄れてきただろうが、当初の横山部長には「外様」という自覚が強かった。

 だから、というわけでもないだろうが、横山部長は斎藤監督の目指す野球を吸収する努力を、一時たりとも怠ることはなかった。

【次ページ】 情報共有ではなく、ふたりの監督の分業体制。

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