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“いつのまにか賞金王”の藤田寛之。
本物を追い続けてきた43歳の矜持。 

text by

雨宮圭吾

雨宮圭吾Keigo Amemiya

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photograph byToshihiro Kitagawa/AFLO

posted2012/12/04 10:40

“いつのまにか賞金王”の藤田寛之。本物を追い続けてきた43歳の矜持。<Number Web> photograph by Toshihiro Kitagawa/AFLO

JTカップ初の3連覇とともに賞金王に輝いた藤田寛之は、試合後の会見で「自分が賞金王になるようなツアーではダメだ」と苦言を呈した。

学生時代は丸山、桑原の“東西横綱”には歯が立たず。

 藤田がゴルフを本格的に始めたのは福岡・香椎高に入学してからだった。中学まではボーイズリーグでプレーする野球少年だったが、「高校に入って野球部の練習を見に行ったけど弱かったんですよ」とそれまで遊びでやるだけだったゴルフに打ち込むことを決めた。

 実家の近くにあった芝生の公園も藤田の練習場所の1つ。自分で用意したネットを松の木に縛り付けて打席を作り、穴を掘ってカップも作った。「勝手に4、5ホールつくっていた」という自分だけのゴルフ場。現在も藤田のプレーを支える抜群のショートゲームはそこで培ったものが礎となっている。

「ベアグラウンドがあったり、芝の長さもまちまち。距離がないからアプローチばかりしていた。それが今のゴルフの原点になってるんじゃないですかね」

 そんな高校時代も、専修大時代も最高成績は全国4位。当時は東の丸山茂樹、西の桑原克典と横綱級の2人が君臨し、藤田は歯が立たなかった。

「自分は小結ぐらいだったんじゃないですかね。全国でも名前は知られているけど、横綱に勝つなんてとてもとてもといったところ」

師匠の芹沢信雄も感嘆する、藤田の努力と潜在能力。

 藤田がプロ入り前に研修生をしていた葛城GCの当時の支配人、寺下郁夫プロも際立った印象を抱いていたわけではない。

「プロを目指したいというので、専大の部長の紹介でうちに来たんですよ。ゴルフは研修生のレベルとしては高いと見ていた。早いうちにプロテストは合格するだろうなと。でも、本人も言っているように、当時はシード選手になって頑張ってくれればいいという印象でした。賞金王になるなんて想像もしてなかった」

 現在、藤田が師事する芹沢信雄の見方も変わらない。

「プロ入りした頃からショートゲームはめちゃくちゃうまかったんで、あとは本人の努力次第だと思っていた。常に賞金ランク30位以内のアベレージの選手になればってね。正直ここまでできるとは思ってなかった。本人の努力でこうなれたわけで、潜在能力って分からないね」

【次ページ】 一歩一歩ハードルを越えて、たどり着いた賞金王の座。

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