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体育会体質と儒教の根深き関係 

text by

海老沢泰久

海老沢泰久Yasuhisa Ebisawa

PROFILE

posted2005/08/18 00:00

 スポーツは見るのもするのも好きだが、学校で運動部にはいって活動したことはない。いわゆる運動部の体質というのがいやだったからである。運動部にはいると、下級生は上級生に殴られるというのは昔から常識だった。ドラゴンズの監督の落合博満も被害者の一人で、高校と大学時代に遭遇した理不尽な経験について、つぎのように語ったのを聞いたことがある。

 「ひっぱたくやつってのは、だいたいきまってる。上級生でも、レギュラークラスのやつはあんまりやらんのよ。どっちかというと中途半端なやつで、いちばんひどいのはポジションを下級生にとられたなんてやつだね。そういうやつは目のカタキにしてやるからね。しかし、いつもやられりゃ、こっちだって考えるよ。牛とか馬だったら、ひっぱたかなきゃ真剣に走らんだろうけどさ。こっちは人間なんだからね。たまたまおれより一年か二年はやく生まれたというだけのやつに、なんでバカみたいに殴られなきゃいけないのよ。まったく、あれだけはいま思い出しても腹が立ってしょうがないよ」

 今年の夏の甲子園の直前、高知県代表の明徳義塾高校が、野球部員の喫煙と、上級生による下級生への暴力行為が発覚して出場辞退ということになったのである。明徳義塾高校はそれらを内部で処理して出場に漕ぎつけたが、それを告発する匿名の手紙が高知県高野連に届いて発覚したのだそうだ。

 例によって、新聞はそれを甲子園至上主義が生んだ隠匿体質と批判したが、それは表層にすぎない。喫煙はともかく、上級生による下級生への暴力は、ぼくの中学生のころから運動部の体質として知られていたのである。甲子園とは関係がない。問題は、どうしてこう運動部で理不尽な暴力が横行しているのかということでなければならないだろう。

 独断を承知でいうと、われわれ日本人は、飛鳥、奈良時代に中国と朝鮮半島から儒教思想を取り入れて以来、千数百年にわたってそれを生活の規範にしてきたからだろうと思っている。

 儒教というのは、あらゆるものに上下の差異をつけるのを根本としていて、士農工商の別はその代表的なものだ。一番上位の士は、中国で科挙試験を通った士大夫、つまり政治家や役人を指し、以下は彼らが治める衣食住の生産者としかみなされない。さらに君臣があり、家長があり、長幼にあっては年少者が年長者に従う長幼の序というのがある。

 これを封建時代の思想と笑ってはならない。第二次世界大戦が終るまで、日本はこの思想でやってきたのである。明治以来の軍隊を支配していた極端な上下秩序はその一例にすぎない。学校の運動部という閉ざされた世界にそれが残っていたとして、何の不思議があろう。そうでなければ、この近代において、上級生が上級生というだけで下級生に暴力を振るうなどということは考えられない。つまり、甲子園至上主義などということではなく、われわれのどこかにしみついた儒教の上下思想を見直さないかぎり、こんどのような事件はこれからさきもいくらでも起きるということだ。

 いっておくが、ぼくは士農工商のうちの農の出だから、儒教思想は大嫌いだ。こんどのような上が下を殴るというような事件を知ると、いつも胸くそがわるくなる。

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