レアル・マドリーの真実BACK NUMBER

グティ待望論が起きるわけ。 

text by

木村浩嗣

木村浩嗣Hirotsugu Kimura

PROFILE

photograph byGetty Images/AFLO

posted2005/10/19 00:00

グティ待望論が起きるわけ。<Number Web> photograph by Getty Images/AFLO

 レアル・マドリーが10月15日、マドリッドダービーを制し首位に立った。首位に立つのは、2004年3月以来、実に1年7ヶ月ぶりのことだ。

 99年を最後に宿敵にやられっぱなしのアトレティコ・マドリーはやはりお客さんだった。攻撃陣にケジュマン、ペトロフを補強、フェルナンド・トーレスは直近の3試合(代表戦を含む)で7ゴールと絶好調、守備にはやはり代表戦で力を見せたアントニオ・ロペスとパブロがいる──。“ここ近年になく実力伯仲”との前評判だったのだが、前半わずか9分で「ペナルティ+退場」をプレゼント。残り81分をレアル・マドリーに歩いてプレーさせ、0−3となす術もなく敗れた。

 その代わりと言っては何だが、アトレティコはバルセロナに強く、昨季は1勝1分け。今季もすでに勝利を収めており、お客さんどころか“タイトル争いのアシスト役”に成り下がった感がある。

 アトレティコ・ファンは悔しかろう。

 だが、審判を責めるのは八つ当たりでしかない。「決定的な得点の機会」でペナルティを犯したのだから、レッドカードも当然(ルールブック12条にそう明記してある)。ロナウド、ラウールとアントニオ・ロペスでは役者が違ったということだ。あの、パスを受けるふりをしてスルー、反転しながらリターンをもらって抜け出すプレーは、ラウールお得意のもの。今夏のジュビロ磐田戦でもオーウェンとのコンビで先制点を挙げている。

 これで国内リーグとチャンピオンズリーグあわせて5連勝。順風満帆に見えるレアル・マドリーだが、監督や選手はともかく実はファンはさほど満足していない。「プレーがつまらない」というのだ。

 確かに、歩いてプレーするのはほめられたものではない。10人相手にボール支配率で下回ったのも“ボールを支配し試合の主導権を握り勝つ”という伝統的なスタイルからはほど遠い。が、そもそもルシェンブルゴのレアル・マドリーはカウンターのチームであり、今週、対ローゼンボリ、対バレンシア戦を控えていることを考えると、“省エネ”を優先したことを責めることはできない、と私は思う。

 ヨハン・クライフの名言“美しく勝利せよ”ではないが、こうした勝敗と同時に内容にもこだわる向きに根強いのが、グティ待望論である。ジダンと交代で入った6分後にロナウドの2点目をアシストしてアトレティコに白旗を揚げさせ、その声は一層強くなった。

 日本のミーハー層に“ベッカムに次ぐイケメン”などと呼ばれているらしいこの男は、本当の天才である。おそらく現役のすべてのスペイン人選手の中で、最も才能に恵まれている選手だろう。185センチ、76キロの体躯から繰り出す、パス、トラップ、シュート、ヘディングは技術が極めて高く優雅ですらある。本職のトップ下で9アシスト(1999−00年)、フォワードで14ゴール(00−01年)を記録した後は、ポジションを下げ、左サイド、ボランチと使いまわされたが、どのポジションでも力を発揮できるところが抜群の能力の証だ。「ラウールよりも才能は遥かに上」とは私だけではなく、こちらのサッカー関係者の一致した意見である。

 ところが、カペッロ、ヘインケス、ヒディング、デル・ボスケ、ケイロス、カマーチョ、ガルシア・レモン、ルシェンブルゴと続く監督は、誰も彼を信頼してこなかった。彼の定位置は常にベンチだったのだ。

 信用の無さは、レアル・マドリーの補強の歴史に表われている。グティがトップ下で活躍した翌年(00−01年)にフィーゴが、フォワードでデビューした次の夏にはロナウドが、左サイドに移ったらジダンが、ボランチに下がったらベッカムがやってきた。つかみかけたレギュラーの座は必ず“銀河系の戦士”に奪われる──これほど過酷な試練を与えられ、ポジションを変えながら生き延びえた選手は、世界にもほとんど例が無いのではないだろうか。

 なぜ、国籍もプレースタイルも異なる監督に、彼はこうも嫌われ続けたのか。

 最大の欠点とされるのがメンタルの弱さだ。

 かつて“ネナ(赤ん坊)”と軽蔑的に呼ばれていたときは、すぐカッとなりレッドカードをもらう、腹を立てるとやる気を失う、劣勢になるとグラウンドから“消える(ボールに絡まなくなる)”といった気まぐれなプレーのオンパレード。練習態度も投げやりだったという。

 監督は、ロナウドやジダンのような天才肌の選手を別格にすれば、ベッカムのようなコンスタントな選手、ラウールのようなファイトのある選手を好むものだ。私もグティが消えるのを何度も見てきたし、交代後すぐに馬鹿げた小競り合いから退場を食らい、チームをチャンピオンズリーグ敗退の瀬戸際に追い込むシーンも目撃した(99−00年、勝ち残ったレアル・マドリーは結局ヨーロッパチャンピオンに輝いた)。

 ルシェンブルゴは言う。「グティは大好きだ。だからこそベンチに置いて最後の20分間に起用する。終盤にできる広いスペースを使ってほしいからだ」。

 グティはプレッシャーの強いところ、場面では活躍できない──この悪評は先のメンタルの弱さと大いに関係している。体格から言えば決して線が細い選手ではないが、体をぶつけてもボールを奪うというガムシャラさに欠ける上に、安全第一のパスよりもリスキーで、それゆえに芸術的なパスを選択する傾向があり、要は「危なっかしい」と思われているのだ。

 ルシェンブルゴは、各試合の選手の動きを追跡したデータを握っており、後半にグティの好プレーが集中するのは統計的に証明されているのだと発言している。今季に限って言っても、アスレティック・ビルバオ戦(後半出場しベッカムとともに逆転劇を演出)、アトレティコ戦と彼は終盤に決定的な仕事をしているのは確かだ。

 とはいえ、これは原因と結果が逆ではないか。前半に使ってもらえないのだから後半に活躍するのが当たり前だろう。

 アトレティコ戦でトラップミス、パスミスを連発したジダンは、「まだまだ何年もやれる」と自ら引退を否定する声明を出さねばならないほど体調が下り坂にある。バプティスタはセビージャ時代の姿とはほど遠い状態。さらに17日夜になって、ロナウドが足首の捻挫で全治1カ月というニュースも飛び込んできた。

 「グティ待望論」はもはや「グティ必要論」になり、ルシェンブルゴも異を唱えることはできそうもない。いい機会だ。彼がどこまで天才なのか、レアル・マドリーの試合ぶりがどう変わるのか、メンタルの弱さは克服されたのか、後半しか力が出せないのは本当なのか、見極めることにしよう。幸か不幸か、万年控えであるがゆえに繰り返されてきた待望論の是非に決着をつけるのは、今しかない。

ページトップ