プロ野球偏愛月報BACK NUMBER

神宮に逸材を見た。 

text by

小関順二

小関順二Junji Koseki

PROFILE

photograph byNIKKAN SPORTS

posted2006/11/24 00:00

神宮に逸材を見た。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

 明治神宮大会が11月15日に終わった。優勝したのは高校の部が高知高、大学の部が亜大で、前評判の高かった報徳学園、早大はそれぞれ準優勝にとどまった。

 報徳学園は1年生エース、近田怜王を決勝で温存したことが敗因になった。この大会に優勝すると来春のセンバツ大会出場枠(明治神宮大会枠)1つが優勝校の所属地区に与えられるが、近畿地区には全国最多の6枠が与えられているので、1つの枠を取りにいくがむしゃらさに欠けるところがある。逆に四国の出場枠は中国地区と合わせても5つしかないので、必死さでは近畿勢を上回る(今年のセンバツは四国2、中国3という振り分けだった)。

 亜大の優勝もハングリーさに原因を求めることができる。部員の不祥事が祟り、'05年春はリーグ戦の出場停止、秋は2部リーグからの再出発。この2部リーグを順調に勝ち上がり、'05年秋には入替戦にも勝ち、1部リーグへの復活は最短の'06年春から。ここでも青山学院大、東洋大と優勝争いを演じ2位に浮上している。多くの大学野球ファンは亜大の復活を疑わなかったが、「部員の不祥事、2部リーグ降格」という不名誉は、優勝しなければ払拭できるものではない。つまり、「この明治神宮大会を勝たなければ」というモチベーションは早大にくらべ、強かったということができる。

 そういう2校の“背景”を見ない限り、高知高10−5報徳学園、亜大5−2早大という大差は読み解くことができないと思う。

 選手個々に目を向けると、亜大の小粥勇輝(外野手)が素晴らしかった。浜名高時代の'03年には3番・一塁手として、センバツ大会に出場している。相手校は東北高で、投手は今や日本ハムのエース的存在と言ってもいいダルビッシュ有。小粥は7回にダルビッシュから右越えの三塁打を打っているが、チームは1対2で敗れているので、高校時代の小粥を覚えている人は少ないだろう。専門誌を見ても「小粥」の名前が出てくることはほとんどない。それほど無名だった。登場するのは優勝投手の西村健太朗(広陵高→巨人)や準優勝投手の涌井秀章(横浜高→西武)、さらにグエン・トラン・フォク・アン(東洋大姫路高→東芝)、平岡政樹(徳島商→元巨人)、須永英輝(浦和学院→日本ハム)……等々。成功している選手もいれば既にプロを退団している選手もいる。3年後の今、プロから脚光を浴びようとしている小粥とその境遇をくらべると、野球人生の明暗ははっきりしている。

 小粥のよさはボールを手元まで呼び込めることである。ゆっくり足を上げて、粘り強くステップすればボールを手元まで呼び込むことができるが、多くの選手はそうすることによって差し込まれるのではないかと不安になる。しかし、小粥はバットを振り込むことによって不安を払拭したのだろう。また、余計なバットの動きを封じ込めていることも、ヘッドの出をスムーズにしている。やはり多くの選手は反動を使わないとスイングが窮屈になると思い、バットの引きを大きくしたり、ヘッドで円を描くような動きをしたがる。しかし、それが結局はヘッドの遅れを助長し、内角に穴を作っていく。小粥にはそういうこともない。

 プロでもできないような高度なバッティング技術をモノにし、塁上に出れば次の塁を陥れようと積極的に走り、ライトからはレーザービームと形容してもいい強肩で走者を刺し、あるいは塁上に釘付けにする。これほど高レベルで3拍子揃った選手はそういるものではない。

 これまで職人的な外野手としてしか見られてこなかった小粥にとって、この明治神宮大会は大きくはばたくきっかけになった。果たしてプロはどこまで深く小粥に注目しただろうか。

ページトップ