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荒川静香を救った一言。 

text by

田村明子

田村明子Akiko Tamura

PROFILE

posted2007/01/11 19:54

 2日後の2月23日木曜日午後7時、いよいよ女子フリーが開始された。

 トップ6人の最終グループ中、サーシャ・コーエンは2番目滑走だった。

 「コーエンは、フリーで落ちます」

 私はSPが終わった日に、そう予言していた。それはなにも意地悪な気持ちからではない。

 日本人に限らず、どの選手にもベストな演技をしてほしい。これは過去13年このスポーツを間近に取材してきた私にとって、きれいごとではなく本音だった。

 だがコーエンは、これまで何度もSPでいい位置につきながら、フリーで失敗するということを繰り返してきていた。もっとも才能ある選手の一人と言われながらも、大きなタイトルを逃してきたのはそのせいである。米国の記者の間では「ショートプログラム・スケーター」というあだ名すらついていた。

 2004年世界選手権もSPで1位だったのに、フリーで失敗して世界タイトルを荒川に譲った。普段できないことを五輪の大舞台で成し遂げるのは、おそらく無理だろう。

 コーエンの最大の強みは、幼少時体操をやっていたという柔軟な体である。片足を高々と直角に上げるスパイラルや、体のポジションが美しいスピンなど、これぞという見せ場でしっかり点数を稼ぐ。そのためジャンプを一つ二つミスしても、表彰台に上がり続けてきた。コーエンより「格下」と見なされる選手がノーミスで滑っても、ミスのあったコーエンに勝てることはまれだった。

 だがSPでトップ3人がノーミスで滑り、1.0ポイントの差もない点が出た。ということは、ここのジャッジは3人を同格と見なしたことを意味している。荒川はおそらくフリーもノーミスで滑る、という予感があった。

 コーエンが一度でもジャンプを失敗したら、荒川は2位に上がって銀メダルを手にするだろう。

 この私の予想は、みごとにはずれた。

 試合前の6分間ウォームアップでコーエンは、ジャンプを失敗して二度転倒した。普段の彼女より動きが硬く、膝のクッションがまったくきいていない。滑走中に荒川の背中に腕が当たったが、止まって謝罪をする余裕もないほど緊張しているようだった。

 後日、この日のフリーを振り返ってコーエンはこう語った。

 「あのウォームアップでの転倒は、かなり響きました。なぜか突然ジャンプのタイミングが合わなくなったの。そしてそのまま本番に突入することになったんです」

 リンクの中央に出て最初のポーズをとったコーエンは、何度も何度も瞬きを繰り返し、視線に力が入らないまま滑り始めた。

 「緊張?― もちろんしていました。誰だってしていたわ。でもあの日、いったいどうしてああいうことになったのか、わからないの」

 満場の観客が息をつめて見守る中、コーエンは最初の3回転ルッツでいきなりしりもちをついた。続くフリップでもステップアウトし、着氷で両手をついた。もう彼女はメダルを逃したかもしれない。私はそう思った。だがこの後に態勢をたてなおして、ウォームアップで転んだループを含む3回転を5回とダブルアクセルを成功させたのは、ベテランの彼女ならではの意地だったのだろう。演技を終えて、あいさつをするコーエンの目はうつろだった。起きてしまったものは、仕方ない。顔の表情がそう語っていた。

 次は荒川静香だった。「私のスケート人生の集大成にしたい」そう言い続けてきた彼女の勝負のときが来た。

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