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田中マルクス闘莉王 最終ラインのゲームメーカー。 

text by

小齋秀樹

小齋秀樹Hideki Kosai

PROFILE

posted2006/08/31 00:00

SPECIAL FEATURES

[ブラジルから来たサムライ]田中マルクス闘莉王 最終ラインのゲームメーカー。

小斎秀樹=文

text by Hideki Kosai

 その時、彼はドイツにいた。

 ワールドカップのベスト8が出揃おうかという頃、田中マルクス闘莉王はその開催国で汗を流していた。6月24日からはじまった浦和レッズのドイツキャンプに、闘莉王はブラジルから2日遅れで合流した。

 「僕も代表に入りたかったですけど、ジーコが選んだことだし、残念ながら次ってことで。次は自分もチャンスいただけるようにね、頑張ってまたゼロから努力していきたいと思います。今はレッズでいいプレーできるように、リーグ優勝できるように、頑張るだけですね」

 闘莉王の日本代表に対する思い。それはレッズのチームメイトやスタッフならば、誰もが感じていることだった。アスレティックトレーナーの清水康嗣もそのひとりだ。

 「マッサージしてるときに、そういう話も出るから。代表の監督が代わって、今度は選ばれるんじゃないかって言っても、アイツは『今までのことがあるから、代表に行けるとか行けないとかは、決まるまで言えないですよ』って言ってたね」

 清水に漏らした闘莉王の言葉からは、ぬか喜びして傷つくのはもう嫌だという気持ちが伝わってくる。

 8月4日、イビチャ・オシムが選んだ新しい日本代表選手13名が発表された。

 知らせたのは清水だった。闘莉王の選出を、清水はクラブスタッフから聞いた。だが本人は携帯電話がつながらず、その報にまだ接していないという。一刻も早く知らせてやりたいと思った清水は、闘莉王と一緒にいそうな選手の見当をつけ、電話をした。

 「連絡くれて、ありがとうございます!」

 電話口に出た闘莉王の声が喜びで弾む。

 清水はそのときの印象をこう表現する。

 「自信はあったとは思うんだけどさ、受験なんかで合格発表見るまでは不安だっていうのと似たような感じだったんじゃないかな」

 代表入りの第一報を受けた闘莉王は、すぐに両親に電話を入れた。日本とは12時間の時差があるブラジルの両親は、真夜中の息子からの連絡にいぶかしげな様子だったが、それがA代表入りという吉報とわかると、目が覚めたようですぐに声の調子も変わった。それから数時間後、練習を終えた闘莉王は報道陣の前に現れた。記者会見の場となったクラブハウス2階のミーティングルームには7台のテレビカメラが待ち構えている。部屋に入ってきた闘莉王は「うぉ、すごいな」と一瞬たじろいだが、気を取り直すと、代表入りの感想を語りはじめた。

 「まずはオシム監督にチャンスをいただいて、『ありがとう』と言わないといけないです。でも、これはまだただの一歩にすぎないので、これから先、頑張るだけです。A代表に入って、日本という国を背負っていかないといけないんで、その責任と喜びをプレーで出していきたいです。(帰化したときの)日本に恩返ししたいって気持ちは、今も変わってない。いろんな人に支えられてきたので、その人たちのためにもひとつひとつのプレーに気ぃ入れてやってかないと」

 '03年に帰化した闘莉王に、日の丸を付けるチャンスを最初に与えた男はその理由を次のように語る。

 「ヘディングの高さ、しっかりした技術、得点力。能力は明らかに高かったね」

 アテネ五輪代表候補に闘莉王を選んだ山本昌邦は、そう振り返った。

 「初めて見たのはサンフレッチェ広島で、その後、水戸ホーリーホック。センターバックだったけど、上がっていって、点も取っていた。本当に、何でもやれちゃう選手だった。リーダーシップも執れるし、アグレッシブな戦う姿勢も魅力だった」

 闘莉王は生来の日本人ではない。だからこそ、他の選手と異なるものを持ってもいた。

 「日本人選手にはあまりないガムシャラさ、臆することなく相手に立ち向かう強さを持っていた。ハートも熱かった」

 山本が忘れられないのはアテネ五輪最終予選。左太ももに肉離れを負い、ピッチに立てなくなっても、闘莉王はクラブに帰ることを拒んだ。五輪予選を戦うチームに残り、試合では監督と同じようにベンチとテクニカルエリアを行き来し、ハーフタイムには戻ってくる選手たちにタオルを手渡した。痛む左脚を引きずりながら。

 戦う気持ちの強さは闘莉王の代名詞だ。しかし、それがサッカー選手としての彼の本領ではない。

 「サッカーにおいても、違う基準で育ってきている。チームにはいろんなDNAがあったほうがいいと思っていたから、彼が入ることで化学反応が起きることを期待してた」

 最初のパス練習のときから、闘莉王は違っていたと山本は述懐する。他の選手たちが漫然とトラップし、蹴っているところを、闘莉王は敵の存在を思い描き、フェイントを入れてトラップし、蹴る。それを、単純にどんな練習にも工夫して臨む熱意と捉えるだけでは、充分ではないだろう。

 「そういうことが身に付いている。日本のサッカーの指導には、どうしても教育的なものが付いて回るけど、彼のサッカーはそういう環境でできたものじゃないから」

 騙すのがサッカーであり、その意識の存在の有無が、日本のサッカーとブラジルのフッチボルとの違いでもある。他の選手が“練習”をしているとき、彼はフッチボルをしていたとも言える。

 「サッカーに対する賢さという点では、あのチームで突出していたね。時計の進め方にしても、ファウルの誘い方にしても。日本人選手はなかなかそういうことができない」

 たとえば、ファウルを受けた味方がピッチに倒れると、すぐさま駆け寄り「そのまま寝てろ」と身を起こそうとする選手を止める。

 たとえば、押し込まれている状況の際、敢えてボールを持ち、ギリギリのところでかわして倒れ、ファウルを誘う。

 そこで無理にボールをつなぐのではなく、ファウルを受けてプレーを一旦止めることで相手のペースになりつつあるゲームの流れを切る。FKで仕切りなおす間にDFラインを上げて態勢を整え、しかし、そのFKを無闇に前線へ放り込んだりはしない。こちらのDFライン同様の準備がなされているところへフィフティ・フィフティのボールを蹴りこんでも、またペースを握られるだけだ。左右どちらかのDFに短いパスを送り、そこへ下がってきたボランチを加えた数人でパスを交換しながら、チャンスをうかがう。

最終ラインで光る、冷静にゲームを読む目。

 “最終ラインにいるゲームメーカー”

 闘莉王のプレーを見ていると、そう表現したくなるときがある。中・長距離のパスを操り、フィニッシュまでの機会を演出することがあるからだ。

(以下、Number660号へ)

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