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中村俊輔 “その先のチーム”をつくる。 

text by

寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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photograph byKiminori Sawada

posted2008/06/26 18:14

中村俊輔 “その先のチーム”をつくる。<Number Web> photograph by Kiminori Sawada

 6月14日、アウェーでタイに勝利した後、右足首痛を押して先発した中村俊輔は勝ち点3の重みをかみ締めていた。「前半、セットプレーで(得点を)決められたのは大きかった。簡単じゃないゲームだったので、勝ててよかった」と満足そうな様子だった。

 一週間前の中村はチームが進化していく感触を語っていた。灼熱のアウェーで戦ったオマーン戦を終え、消耗しきって出てきたミックスゾーンでのことだ。

 「ベトナム('07年アジアカップ)のときの前半よりも、今日の前半の方がキツかったね。でも(日本がボールを)動かしたから、後半、相手は疲れて、ほとんどロングボールしかなかったでしょ。すべては1点目だったから。(チームの)プランが少し……」

 言葉は途切れた。しかし、ひと呼吸いれると、中村の言葉に張りが生まれる。

 「でも自分たちのサッカーを貫いて、1点を取り返したところまではよかったと思う。それにゴールが決まらなかったのは、最後のところだけ。逆に言えば、そこまでは来ているということ。(チームは)前へ進んでいる」

 ドローに終わったことを悔やむ思いは小さくない。それでも、反省はしても落胆を引きずる必要はない、と言いたげだった。中村はポジティブに試合を振り返った。

 「予選を勝ち抜くことは大事なことだけど、僕はそれだけを見ているわけじゃない。日本が強い国と戦っても、互角にやりたいし、勝ちたい。そのために自分が代表に入ったときの形をつくること、チームとしての連携や連動を深めることを考えてやっている。そういう意味ではいい作業ができている。

 試合後、もっと強い相手とだったらどうなっていたかとか、(チームメイトと)そういう話もした。フォーメーションを決めるのは監督だけど、やるのは選手。『今日の試合』だけを見て、やってはいない」

 その夜つかんだ収穫の数々を、そんな風に幾重にも囲んだジャーナリストたちに伝えた。

 岡田ジャパン合流前から、「岡田監督のサッカーを理解するという作業は、オシムさんのサッカーを理解するときと同じ。選手のことを知っているぶん、スムーズに合流できるはず。選手間のパイプを太くしたいし、パイプの数を増やしていきたい」と話していた中村は、初めて顔を合わせた選手にも、積極的に声を掛けていた。

 岡田ジャパンで初めての試合となったパラグアイ戦の後、先発のピッチに立った長友佑都には長い時間をかけてアドバイスを与えた。自分のアイデアを言葉にすることで、「長友の意識が変われば」と考えての行動だった。それに積極的に会話し、コミュニケーションを図ろうという行為は、選手間のパイプをつくるという目的もある。

 思い出すと、'07年9月のオーストリア遠征でも、スイス戦で先発予定だった松井大輔と試合前日の練習後、ジョギングをしながら会話を重ねていた。今では中村のそういう姿も特別なことではなくなってきている。

 中村はリーダーとしての役割を自分なりのスタイルで果たしている。練習や試合中に大きな声を上げて、チームメイトを叱咤するタイプでも、背中で伝えるというタイプでもない。コミュニケーションを密にし、自身の考えやアイデアをチームメイトに語る。独自のやり方で選手の意識改革をうながしている。

 「体も細いし、身体能力も高くない僕がヨーロッパの舞台で戦えているのは、相手よりも早く動けるように先を予測して考えているから。考える力がなければ、今の自分はない」

 欧州で戦う中村の姿と、世界と戦う日本代表が重なる。日本代表もまた世界基準では身体能力が劣るからこそ、連動や連携が必要なのだ。考える力がなければ連動も連携も深まりはしない。中村は自分のやり方を押しつけず、意識を刺激する言葉を伝えることで、チームメイトへ考える作業をゆだねる。

 「今では試合中の修正がしやすくなった。チームとして出来上がってきている証拠」

 そう言って、笑みを浮かべる。コミュニケーションがもたらした進化に、誰よりも手ごたえを感じていたからだった。

 「試合もコンビネーションを高めることのできる時間だからね。学校で言ったら授業」

 真剣勝負の場だからこそ、わかることは多い。練習ではわからないチームメイトの情報を得ることができる。意思を込めたパスを出すことで、仲間に“中村俊輔”を知るきっかけを与える。

 「僕がミドルシュートを打った場面も、(大久保)嘉人が裏を抜ける動きをしてくれたり、松井が斜めに走ってくれたことで、ぽっかりと僕のところがフリーになった。そういう動きが大事。誰々がよかった、誰々が(ゴールを)決めたということで、終わっていたのでは、次へ繋がらないからね」

 だからこそ、オマーン戦をドローという結果だけで片付けたくはなかったのだろう。

 「今日の試合で何度かあったように、ボールを持たない選手が動くことで、相手も迷うし、味方を助けることにもなる。2人だけじゃなくて、3人目も関係する動きは、前(ジーコ)の代表にはなかったもの。

 僕は海外でプレーしているから、代表で一緒にプレーする時間は限られている。だからチーム全体を見て、形をつくることを考えている。もういい年だしね」

岡田監督に代わっても、目指す方向性は変わらない。

 昨年秋、セルティックで欧州チャンピオンズリーグを戦っていた中村は、バルセロナとの対戦を熱望した。それは華麗な個人技が理由ではない。

 「バルセロナは、数人の選手がポジションを変えながら、連動した動きでパスを繋ぎ、集団で相手を崩していく。そのやり方は、日本人に合っていると思う。細かいことは見ているだけではわからないから対戦してみたい」

 これまでバルセロナだけでなく、マンチェスター・ユナイテッド、ACミランなど欧州の強豪と真剣勝負をしてきた。そのたび、「日本代表で戦ったらどうなるだろうか?」と考えているのだという。

 「ずいぶんと長い期間、代表の一員としてプレーさせてもらっているから、自分のチームみたいな気持ちがあるしね」

 代表に選ばれて当然と考えているわけではない。ただ、日本を代表して、欧州の舞台に立っているという意識があるからこそ、代表、日本への愛着が生まれているのだろう。

 常々、中村は「僕は未来の日本サッカー界の実験台だと考えることがある。自分の経験を将来日本へ還元したい」と語っている。それは引退後、指導者としてのビジョンでもあり、同時に現役選手としてのテーマでもある。日々抱き続けている「日本を強くしたい」という思いを現在進行形でどう表現していくのか。W杯ドイツ大会以降、代表への合流時間が激減したこともあり、「代表で何をすべきか」という中村の思考はより明確な行動となって表れている。その姿からはリーダーとしての彼の覚悟が伝わってくる。

 「僕が考える、日本が世界と戦う上で必要なサッカーと、オシムさんのサッカーは似ていた。ヨーロッパでプレーしながら、日本代表には連動性が必要だと感じていた。

 たしかに各ポジションのスペシャリストを集めたジーコジャパンは選手それぞれが自分の能力を出しやすいチームだった。だけど、それだけでは自分の力以上の相手に勝つことは難しいと分かった。日本人が1対1で突破できない場面でも味方のサポートがあれば、それも可能になる。組織的に動き、連動し、しっかりと走れていたら、ドイツでの結果も違ったものになったかもしれない」

 ドイツで感じた空しさは、日本には連動性が必要だという確信を中村に与えていた。

 そして今、指揮官は岡田武史に代わっても、中村の考えに変化はない。日本が世界と戦うために必要なことは変わらない。

 国際経験の乏しい若い代表たちへ、苦言を呈したいこともあるだろう。しかし、強い主張がぶつかりあったジーコジャパンで最後まで埋まらなかった溝を彼は見てきた。自己主張の激しい欧州での生活のなかで、それとは違う日本人の気質を再確認できた。言葉の壁があるからこそ、コミュニケーションの難しさと、その重要性を肌で感じた者の気配りが、中村には備わっているように感じる。

 「今の代表では自分は年長の立場になった。だから今までにない新しい仕事、新しい役割があると自覚している。アジア予選は厳しい戦いになる。チームの団結力でそれを乗り越えていかなくてはいけない。そのために経験を積んだ選手としての行動をしたいと思う」

 6月24日、彼は30歳になる。

 自分の「一発」でチームに貢献してきた20代とは違う。「経験」という財産を代表へ伝えること。それが中村なりのリーダーとしてのやり方なのだろう。

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