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サンダーの躍進を支える
若きGMの贅沢な悩み。
~迷える青年に開けたNBAへの道~
 

text by

宮地陽子

宮地陽子Yoko Miyaji

PROFILE

photograph byYukihito Taguchi

posted2011/05/06 06:00

サンダーの躍進を支える若きGMの贅沢な悩み。~迷える青年に開けたNBAへの道~<Number Web> photograph by Yukihito Taguchi

 サム・プレスティ(現オクラホマシティ・サンダーGM)は大学を卒業したとき、進路に迷っていた。法律学校に行くか音楽学校に行くか。法律は大学の専攻のひとつ。音楽はドラマーとしていくつものバンドを掛け持ちして活動していた。まったくかけ離れた2つの選択肢で悩むというのは、それだけ興味の幅が広く、多才であったということだが、本人は「何をしたらいいか決められなかっただけ」と振り返る。

 NBAへの道は当初、選択肢には入っていなかった。大学はバスケットボールでは無名のエマーソン大。4年間プレーし、最後の2年はキャプテンも務めたが、このスポーツを仕事にすることは現実的ではないと思っていた。

 ところが大学コーチのつてで、サンアントニオ・スパーズGMのRC・ビュフォードのバスケットボール・キャンプを手伝い、ないはずの道が開けた。ビュフォードがスパーズでの仕事を手伝うインターンを探していると聞き、名乗りを上げたのだ。仕事は雑用が多く、給料はほとんどないに等しかったが、「無料でNBAの教育を受けていたようなものだったから、本当に好運だった」と言う。

弱冠30歳でシアトル・スーパーソニックス(現サンダー)のGMに。

 1年後に実力が認められて正規のスタッフになり、その後も順調に昇格。大学を出て7年もたたないうちに、シアトル・スーパーソニックス(現サンダー)のGMとして引き抜かれた。'07年6月、弱冠30歳のときだ。それからわずか4年でディビジョン優勝チームを築いた。

 ボストン郊外に育ち、子供の頃からボストン・セルティックスの大ファンだったが、セルティックスを築いた名GM、故レッド・アウアバックとは一度も会う機会がなかった。もし今アウアバックに会えたら何を聞きたいかと尋ねると、熟考の末、「成功していたチームが行けるところまで行き、違う方向に進む時期が来たと感じたときの、その決断のプロセスについて聞いてみたい」と言った。

 上り調子のサンダーを率いるプレスティがそんなことに悩み、決断を下さなくてはいけないのはしばらく先のこと。競争の厳しい現代NBAでは、そこまで到達する保証もない。それでも先を見越して心の準備をしておくのもGMの性である。そこにいるのはもはや、11年前に音楽と法律で迷っていた青年ではなかった。

■関連コラム ► <NBA最新事情2011> オクラホマシティー・サンダー 「小さな町の大きな挑戦」

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