SCORE CARDBACK NUMBER

二子山親方、55歳の逝去。その早過ぎた死を想う。 

text by

服部祐兒

服部祐兒Yuji Hattori

PROFILE

photograph byMasahiko Ishii

posted2005/07/07 00:00

二子山親方、55歳の逝去。その早過ぎた死を想う。<Number Web> photograph by Masahiko Ishii

 夏場所後の5月30日、本場所間の巡業もなく、力士たちがやっと一息つけるのを待つかのように、二子山親方の壮絶な闘病生活に終止符が打たれた。55歳という余りにも早過ぎる死。名大関として歴代1位の在位50場所を記録、引退後も2人の息子を揃って横綱に育てあげるという離れ業を演じた親方をしても、がんに打ち勝つことはできなかった。

 角界のプリンスとして絶大なる人気を誇った現役時代の全盛期。当時中学生だった私の印象は「格好いい」の一言。小さい身体で、どんな大きな相手に対しても真っ向勝負の土俵魂。クールな顔の裏に秘めた不屈の闘志は「決してあきらめない相撲」で示された。輪島や北の湖との死闘以上に記憶に残るのは、北の富士を弓ぞりから投げ「つき手・かばい手」論争を起こした取組や、高見山との土俵際での投げの打ち合いで顔から土俵にのめり込んでいった取組。その強靭な足腰を最大限に活かしての驚異的な粘りは、常識では計れない数々の衝撃をファンに与え続けた。

 私の現役時代、親方からかけていただいた忘れられない言葉がある。初日から7連敗と泥沼にはまっていたとき、「自分の得意な小手投げをどんどんやればいい」。受け身の技で、当時誰からも非難されていた技を、堂々と使えとの助言。私は急に気が楽になり開き直ることが出来た。貴ノ浪、安芸乃島、貴闘力と個性を思う存分活かした相撲を指導した親方。セオリーにとらわれ過ぎず、自分らしく伸び伸びと相撲を取ることの大切さを、私はこのとき痛感した。

 親方が残した最大の置き土産は、伝説とも言われた猛稽古に違いない。兄であり師匠でもあった先代の二子山親方から受けた血へどを吐くほどの稽古を、自らの弟子にも課し続けた。藤島部屋創設当時からの「待った」なしでの百番にも及ぶ殺気だった稽古に、妥協は一切許さなかった。そのひたむきな姿勢こそが、兄弟同時横綱や、不滅といわれた二子山帝国を誕生させたことは言うまでもない。

 志半ばで天国へと旅立った二子山親方。

 その相撲を愛する精神は、息子の貴乃花親方をはじめ、多くの親方や力士たちが受け継いだはず。これからは天国の桟敷席で、のんびりと大相撲を楽しんでいただきたい。

ページトップ