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短くも眩しかった、34歳・新十両の夏場所。 

text by

服部祐兒

服部祐兒Yuji Hattori

PROFILE

posted2005/06/09 00:00

 春場所終了後の3月30日、丸19年もの下積み生活を経て、出羽の郷に待ちに待った本当の春が訪れた。夏場所の番付編成会議において、夢の十両昇進が決まったのだ。

 初土俵は昭和61年夏場所。何と初土俵から114場所を要しての十両初昇進は、これまでの琴冠佑の89場所を大幅に更新する史上1位。34歳5カ月という年齢ももちろん戦後最高齢記録。脇役から主役へ。綱獲りや大関獲りなど話題のない夏場所の注目力士となった苦労人の人生は、まさに劇的に変わった。

 住み慣れた大部屋を離れ、4月下旬から初の自分の城、10畳の個室に移った。

 「落ち着かない」と言いつつも、城に並んだお祝いの芋焼酎をじっくりと味わう至福の時間を過ごした。そのスロー出世は社会的な話題となり、テレビ各局から雑誌まで、あらゆる取材が殺到した。昼寝も出来ないほどの忙しさとなり、今まで付き人として報道陣に囲まれる関取衆を遠巻きに眺めていた男は、いきなり輪の中心へ担ぎ出された。

 場所前の稽古では、出羽海一門の連合稽古で、初めて関取衆の申し合いに参加。関取のみに許される白い稽古廻しで、一番でも多く買ってもらおうと右往左往する姿は、まるでピカピカの1年生だった。

 入門時の師匠、先代・出羽海親方から贈られた粋な着物を身にまとい、晴れの場所に臨んだ出羽の郷。母の日と重なった初日、土俵入りの晴れ姿は、国技館2階席で見つめた母、川原ミサさんには生涯最高のプレゼントだったに違いない。その苦労振りを知る館内のファンからは「出羽の郷!」と大きな声援も飛んだ。

 関取初白星は、3日目の舞風戦。その勝ち名乗りは、出羽の郷にとって通算400回目のこと。「頭の中が真っ白になった。感無量です」と目頭を熱くした。

 奮闘努力、力の限り尽くすも十両の壁は厚く、15日間の結果は3勝12敗。大きく負け越し、夢心地の生活はこれにて一旦幕が引かれることとなった。6月下旬の名古屋場所番付発表まで、関取生活は残りわずか。首、右膝、両足首、両肘、腰と至るところに痛みを抱える出羽の郷が、再び自分の城を取り戻せるかどうかは神のみぞ知るところ。だが、その足跡は「苦労はいつか報われる」という教訓を私たちに確かに示してくれた。

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