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幻の“二代目力道山”、大木金太郎さん逝く。 

text by

門馬忠雄

門馬忠雄Tadao Monma

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photograph byEssei Hara

posted2006/11/23 00:00

幻の“二代目力道山”、大木金太郎さん逝く。<Number Web> photograph by Essei Hara

 昭和の名残りがまたポツリと消えた。'60年代から'70年代にかけて、ファンから“頭突きの金ちゃん”と親しまれた大木金太郎(本名 金一=キム・イル)さんが10月26日、韓国・ソウルの病院で心不全のために亡くなった。享年77。大木さんとは40年近い付き合いであった。

 レスラーや我々は仲間を愛称で呼ぶ。「デカイの」が故ジャイアント馬場、「胸毛」が故マンモス鈴木、「アゴ」がアントニオ猪木……。わざわざ名前を呼ばなくとも、それで会話は成り立つ。「石頭の金ちゃん」と呼ばれた大木さんは、前出3人とともに、力道山の日本プロレス時代は“新人四天王”といわれた。

 「チャッ!チャッ!」と奇声を発して放つ一本足打法の原爆頭突きが懐かしい。

 そんな大木の新弟子時代を知る人も少なくなった。同郷の師匠・力道山にはたっぷりしごかれ、日本人の先輩にはいじめられた。過酷な修行に耐え切れず、陰でよく泣いていたという。

 「ほら、あいつは俺と同じ年だろう? いろんなことを相談されたよ。『韓国に戻りたい』ってよくこぼしてた。でも、密航までして日本にやって来たのだから頑張れよって、何度も励ましてやった。だから、あいつは、最後まで俺を“アニキ、アニキ”って呼んでくれたんだ」

 そう思い出を語るのは、ノアのGHCタイトル管理委員長のジョー樋口さんだ。

 力道山没後の'65年8月、米国武者修行から帰国後の大木はソウルで芳の里を破り初代極東ヘビー級王者となった。前後して持ち上がったのが二代目力道山襲名の話。ところがタイミングが悪かった。言い出した豊登が体調不良を理由に社長を辞任。日本プロレスは新団体設立の動き(猪木との東京プロレス立ち上げ)があるとしてその豊登を除名、追放処分にしたのだ。一旦は東京スポーツのフロントページを飾った「大木金太郎、力道山襲名!」という記事は、幻に終わった。

 伝統のインター王座のベルトを巻き、最後まで日プロを守ろうとした“韓国の猛虎”は気性が激しく涙もろかった。

 草創期から半世紀が過ぎた日本におけるプロレスの普及と繁栄は、朝鮮半島出身の血脈を抜きには語ることができない。

 岡山でご馳走になったオモニのホルモン焼き、旨かったね。

 金ちゃん、どうもありがとう。合掌。

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