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熟成を重ねた名コンビの、代表での共演が見たい。 

text by

大友信彦

大友信彦Nobuhiko Otomo

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photograph byTamon Matsuzono

posted2006/05/25 00:00

熟成を重ねた名コンビの、代表での共演が見たい。<Number Web> photograph by Tamon Matsuzono

 1996年2月。青学大2年だった岩渕健輔は、来日したACTブランビーズと日本選抜のSOとして対戦、初めて桜のジャージーを着た。同年11月、京産大3年の大畑大介は台北で開かれたアジア選手権決勝の韓国戦で3トライを決め、テストマッチデビューを飾った。

 それから10年。30歳になった2人は新しいステージに足を踏み入れる。

 日本のエース大畑は、4月23日の韓国戦で2トライ。テストマッチ通算トライを62とし、豪州のキャンピージが持つ世界記録64に迫った。この日の韓国はケガなどで主力を欠き、日本は前半だけで33対0と圧倒。日韓戦では異例のユルい展開に、大畑は「正直3つは(トライを)ほしかった」と笑わせながら「ここで無理なプレーをしてると、あとで痛い目にあう」と、先の舞台を見据えた。この試合では執拗なタックルで相手ボールを奪い、相手の集中タックルを浴びてもボールを活かし……とタフに働き抜いたのも覚悟の表れだ。爆発的なスピード、タックルを突き破る強さ、ともに進歩し続けるジャパンの高速機動戦車。来年のフランスW杯には「新記録の65と言わず、最低でも70まで伸ばして乗り込む」。

 同じ23日の新聞では岩渕の再出発が報じられた。'02年釜山アジア大会の7人制で左膝靱帯断裂。重傷を負ったまま続く15人制にも強行出場。負傷者続出のジャパンを救おうとした侠気の代償は重かった。リハビリで翌年のW杯を目指したが代表からの招集はなく、'00年に日本人初出場を果たした英国プレミアのサラセンズでも以後は出番を失ってしまう。

 「でも自分が望んで出た試合でしたし、ケガしたことに悔いはないです。そもそも僕は、難しいことに挑戦するためにラグビーしてるんですから」

 再起をかけて靱帯の移植手術に踏み切ったのは'04年夏だった。以来壮絶なリハビリを重ね、新たに契約したのは、かつて吉田義人や斉藤祐也も所属したフランスのコロミエ。現在2部に低迷中だが「外国人選手が少ないからチャンスがある」。試合に出て復活を証明できれば、来年のフランスW杯に向け、SO不在に悩む日本代表からの再招集だってあるはず。

 偉業を打ち立てたエースと試練を乗り越えた司令塔。10年の熟成を重ねたホットラインが、復活へ動き出す。

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