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<文武両道のススメ> 久木田紳吾 ~史上初の東大出身Jリーガー~
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byTakahiro Ichikawa
posted2011/04/19 06:00
「2年生の途中からはテレビも観ませんでした」
「サッカーと勉強しかしなかったです。飲みに行ったりとか遊びに行ったりは、ほぼなかった。2年生の途中からはテレビも観ませんでした。その頃引っ越したのですが、新しい部屋はテレビ線が部屋に届いていなかったんです。工事すれば見られると言われましたが、夜観てしまうと時間の無駄だと思っていたので、観れなくなってちょうどいいな、と」
東大サッカー部は、東京都リーグに位置する。いくらひたむきに励んでもプロのスカウトの目の届かない場所である。その場所からどうアピールし、プロへの道筋をつけるか。久木田は、東大サッカー部に指導のため訪れる元Jリーガーなどにプロになりたい気持ちを伝え、売りこみを図った。Jリーグのチームへの練習参加を頼み込みもした。すると、2年生のときに東京ヴェルディの練習に1日だけ参加を認められた。さらに鹿島アントラーズの練習に3日間参加する機会を得た。
「鹿島のときは、コーチがいろいろアドバイスをくれましたし、Jリーグの1番上のレベルがどれくらいか、肌で知ることができたので、すごいいい経験でした。コツコツちゃんとやればプロになれると思えました」
売り込みを続けた末に届いた岡山からのオファー。
自身のプレーを編集したDVDを各チームに送りもした。そしてロアッソ熊本、もう一度鹿島、水戸ホーリーホック、岡山と練習に参加し、アピールを続けた。
昨年7月、一本の電話が入った。岡山のスタッフからの東京に来るとの連絡だった。会うと、待っていたのは、オファーの話だった。
久木田は考えた。他の選択肢はどうか、就職したらどのように進んでいくか、就職して30、40歳になったら、この時の決断をどう振り返るか。1週間後、久木田は「夢を実現したい」と、岡山入りを決断した。
「親にはオファーを受けた時に連絡していて、最終的には自分で決めて報告しました。サッカー選手を目指すというのは知っていたし、一応、否定はせずに応援してくれてました。ま、複雑な気持ちはたぶんあったと思いますけど、親の人生じゃないですからね(笑)」
こうして、最高学府を4年で卒業しつつ、入学式に立てた目標、「東大初のJリーガーになる」を、達成したのである。
今、東大で学んだ経験は、サッカーにどのようにつながったと考えているのだろうか。
「時間の使い方でしょうか」
このように答えたあと、久木田は続けた。