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モンゴル勢の草分け、旭鷲山昇の15年。 

text by

服部祐兒

服部祐兒Yuji Hattori

PROFILE

posted2006/12/21 00:00

 技のデパートモンゴル支店閉店。

 九州場所2日目、大島部屋の旭鷲山が心臓の病気(虚血性心疾患)を理由に引退した。横綱朝青龍を頂点に、今や幕内に8人が揃う大相撲界最大勢力となったモンゴル軍団。そのパイオニア的存在の旭鷲山は、旭天鵬らとともに、平成4年春場所で初土俵を踏んだ。入門当初は厳しい稽古や日本の生活習慣に馴染めず、モンゴル大使館に逃げ込んだこともあったが、師匠に説得されて相撲道に専心。その後、僅か3年(平成7年春場所)で新十両に昇進し、翌年秋場所には新入幕を果たした。新入幕から所要3場所で小結に昇進したが、その場所で負け越し。以後1度も三役に復帰する事はなく、今場所まで58場所連続平幕在位という史上1位の珍記録を打ちたてている。

 土俵の無いモンゴル相撲で培った多彩な技を大相撲の世界でも応用、その決まり手は投げ技・掛け技・反り技・捻り技などバライティーに富み、基本技の「寄り切り」は滅多に見られなかった。立合いの間の取り方も上手く、相手の力を巧みにかわしながら自分の形に持ち込んでいった。省エネとも映る老かいな相撲、これが旭鷲山の地力と相まって偉大な珍記録を生み出す要因となった。

 十両昇進後の決まり手は45を数え、三賞5回受賞、金星5回獲得、通算成績は560勝601敗2休。時々土俵上での激しい睨み合いも行い、常に観衆を沸かせることを意識した。15年に及ぶ挑戦のなかで、旭鷲山は見事に「ジャパニーズドリーム」を実現させたのである。

 その勇姿に憧れ大相撲界に飛び込んだモンゴルの後輩たちの、兄貴的存在であり心強き相談役だった旭鷲山。開拓者としての功績は計り知れない。同期の旭天鵬には、最後の取組前、廻しを締めるのを手伝って欲しいと暗に別れを告白。最後の取組の相手は後輩の朝赤龍だった。突然の引退表明だったが、志を継ぐ多くの後輩たちの成長を実感して、自らの役割はもはや無くなったと感じていたのではなかろうか。

 平成12年に「旭鷲山発展基金」を設立し、各種の援助を続けている旭鷲山は、モンゴルでは朝青龍と肩を並べる英雄だ。引退後は母国に帰国して政治家に転身、これまで培った人脈を活かし、日本担当大臣を目指すという。

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