雑誌「Number」誌上で連載された『オリンピック4位という人生』。1964年東京から2016年リオまでの五輪で、メダル、表彰台まであと一歩届かなかったアスリートを取材し、その後歩んだ道のりを『嫌われた監督』でお馴染みの鈴木忠平さんが綴りました。
「4位」という順位には、4年に一度しかないオリンピックという大舞台の「光と影」のくっきりとした境界線があるのかもしれません。ただ、アスリートの言葉を読むと、その順位や結果は決して悲劇という言葉だけでは括れない、スポーツ、競争がもつ複雑さや奥深さを伴ったものであると気がつくはずです。
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