就任わずか3カ月目、チームを一変させた宿沢の手腕を探る。
あまりにも鮮烈な勝利の記憶は、20年経った今でも輝かしいモニュメントとして、当時を生きた人々のなかに厳然として存在する。
1989年5月28日、日本代表28-24スコットランド代表。
日本にラグビーが伝えられてから90年目にして、日本の代表チームが初めて海外列強の一角を破った。世界のラグビーを牛耳ってきた「ビッグ8」=イングランド、スコットランド、アイルランド、ウェールズ、フランス、NZ、豪州、南アのインターナショナル・ラグビーボード(IRB)オリジナルメンバー=を相手に挑むこと28回。積年の悲願を達成したのが、この勝利だった。
「エポック・メーキングなゲーム」と平尾誠二は振り返る。
スコットランド代表が主力選手を10名欠き、後に同協会がこの試合を正式なテストマッチと認定しなかったとしても、それで勝利の価値が減じられたわけではない。トライ数は日本の5に対してスコットランドが1。内容的には日本の圧勝だった。
「エポック・メーキングなゲームでした。トライ数5-1という勝利は、今後はもうないでしょう。ラグビー自体も変わったから、将来日本が強豪国に勝つとしてもPGで3点ずつ刻むような内容になるでしょうね」
そう話すのは、このチームでキャプテンを務めた平尾誠二(神戸製鋼コベルコスティーラーズ総監督)だ。
指導経験のない宿沢の監督起用は“バクチ”だった。
19歳で日本代表に選ばれた平尾は、26歳でこの勝利をつかむまで、善戦と惨敗を繰り返す日本代表に苦い思いを抱いていた。
何か根本的なところから変革しなければ勝てないんじゃないか――そんな思いでいた平尾にキャプテンを要請したのが、'89年2月に日本代表監督に就任したばかりの宿沢広朗だった。2人はチーム像を話し合って意気投合。返事を保留していた平尾も快諾した。
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