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「彼はジェントルマン。“今日はウイスキーでも飲もうぜ”と2人で飲んで…」松木安太郎が語るヴェルディ川崎の連覇を生んだ“ネルシーニョ・マジック”の原点《インタビュー》

2025/11/21
ベンチで並んで座る松木(左から2番目)とネルシーニョ(左から3番目)
Jリーグ開幕から2連覇を果たしたヴェルディ川崎。華々しい歴史の裏には名参謀の存在がある。黄金期のスター軍団を率いた松木安太郎に共に戦った知将との日々を振り返ってもらった。(原題:[元気印の回想]ネルシーニョ「連覇を生んだ規律とマジック」)

 1993年5月15日。日本サッカーの聖地と呼ばれた旧国立競技場で、Jリーグの歴史は幕を開けた。

 ヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)には三浦知良、ラモス瑠偉、武田修宏、北澤豪、柱谷哲二、都並敏史ら日本代表メンバーがずらりと顔を揃えていた。そのスター軍団を率いて'93年、'94年と連覇を果たしたのが松木安太郎だった。そんな彼を名参謀たちが支えた。なかでも'94年のシーズン中にヘッドコーチとして加わったネルシーニョは大きなインパクトを残した。

 松木の7歳年上の彼はヘッドコーチ就任前に名門パルメイラスやコリンチャンスなど10クラブ以上で指揮を執った実力派だ。

「意見が食い違ったこと? それはなかったね。基本的にはネルシーニョの意見を尊重していたし、やっぱりコーチ陣がギクシャクすると選手たちはすぐに気づくし、混乱してしまう。そういうチームはうまくいかないですから」

 Jリーグが開幕した'93年、松木は35歳の若さで監督に抜擢される。突然、勝利が義務づけられた常勝軍団を率いることになり、プレッシャーを感じないわけはなかった。

「結果によってはコーチとしての寿命を縮めることにもなりかねないわけですから、覚悟するまでは葛藤がありました。周りもやめたほうがいいという声ばかり。もしも今、当時と同じような状況でオファーされたら絶対に断るでしょうね。あれは、若いからこそできたチャレンジでした」

松木安太郎 Yasutaro Matsuki 1957年11月28日生、東京都出身。小学4年で読売クラブに入団。16歳でトップチームに昇格し、後に主将も務めた。'90年に引退し、'93年にヴェルディ川崎の監督に就任。'94年のシーズンを最後に退任した後は、セレッソ大阪などで監督を歴任した。現在は解説者 Hirofumi Kamaya
松木安太郎 Yasutaro Matsuki 1957年11月28日生、東京都出身。小学4年で読売クラブに入団。16歳でトップチームに昇格し、後に主将も務めた。'90年に引退し、'93年にヴェルディ川崎の監督に就任。'94年のシーズンを最後に退任した後は、セレッソ大阪などで監督を歴任した。現在は解説者 Hirofumi Kamaya

 ヘッドコーチには読売クラブ時代に監督を務めたオランダ人のフランツ・ファン・バルコムを指名し、助っ人としてヘニー・マイヤーとイェーネ・ハンセンが加入した。当時のサッカーは個人技を活かしたブラジル型と、組織を重視する欧州型の大きく2つに分かれていたが、松木はそれらを融合した「日本型」を目指していた。

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photograph by J.LEAGUE

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