競走馬では前例のない治療と段階を踏むリハビリ――。三冠牝馬の戦線離脱は、実に385日に及んだ。ようやくターフに戻り、完全復活へ向かう女王の歩みを共に闘ってきたジョッキーとトレーナーが語った。
薄暗い地下馬道をくぐり抜けると、湧き上がる拍手が聞こえてきた。その音は観客席の屋根と壁に反響して、人馬を包んだ。
場内アナウンスは「よくぞ復帰してくれました、デアリングタクト!」と声を弾ませた。マスク姿のファンは、抑えた歓声の分まで思いを込め、両手を打ち鳴らした。今年5月15日のヴィクトリアマイル。三冠牝馬が1年ぶりにターフへ戻ってきた。
淡い青と白の勝負服を纏った松山弘平にとっても、待ちわびた瞬間だった。
「本当にファンの多い馬で、すごくありがたかったです。たくさんの人たちが待っていてくれて、より『勝ちたい』という思いになりました。感動している場合ではないですけど……胸にくるものがありました」
光の見えない道のりだった。昨年5月初旬。3着に終わった香港遠征から帰国して間もないタイミングで、杉山晴紀調教師の電話が鳴った。放牧先からの報告は、右前脚の異状。すぐに精密検査が手配された。
診断は繋靱帯炎だった。再発のリスクは高く、父エピファネイアも引退に追い込まれた。しかも症例の多い脚部(下端)ではなく、上方にある体部に炎症を起こしたレアケースだけに杉山も頭を抱えた。
「経験したことのない箇所なので、JRAの獣医にも予後(回復の見通し)をいろいろ聞いて、復帰を目指すのかどうか(オーナーサイドの)岡田牧雄さんと相談しました。再発すると屈腱炎よりも予後が良くないんです。たとえば腱を断裂しても命を落とすことはないですけど、骨格を支える靱帯が切れてしまうと死を意味しますから」
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