響きと文字の美しい名前は母が付けてくれた。
「僕……海の日に生まれたんです。だから、海のように綺麗で広い心を持つようにって」
17歳の現役最年少棋士、藤本渚は涼やかな顔で少しだけ口元を緩ませている。
大阪市内の自宅から程近い長居公園。週末を楽しむ人々が遊歩道を行き交っている。生まれて初めて雑誌の撮影に臨んだ場所は、通っている大阪学芸高校の目の前でもある。
「友達に見つかったりしないかな……」
発見されたらピースサインでも返せばいい気もするけれど、被写体の主人公はドキドキした様子で辺りを見渡している。
砂浜に落ちていた貝殻をさらう波のように、時の必然に任せて四段になった。
9月10日。棋士養成機関「奨励会」三段リーグ最終日。半年間、たった2つの昇段枠を41人の三段が争った日々も残り2戦だった。昇段の目を残す6人に藤本の名前もあったが、条件は他力。自分が連勝しても、誰かに運命を委ねるしかない。
東京の宿で過ごす一人きりの前夜。気負はなく、震えたりもしなかった。
「もともと自分に自信がないですから。自分は強くないんです。競争相手だった皆さんの中でいちばん弱いんですよ。研究会でボコボコにされたりしてるので……」
午前中の17戦目は序盤で形勢を損ねたが、抜け出して勝利。12勝5敗とした。
昼食休憩前、リーグ表に白マルのハンコを捺したが、横列は見なかった。
「誰が勝ったとか負けたとか……聞こえてきたような気もしましたけど、何も聞かなかったと思うことにして(笑)。自分は勝ちたい思いが強すぎると冷静にはなれなくなるんです。いろんな思いを消して2局目を指そうと思っていました」
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